2016年7月12日火曜日

偲ぶ会の成功

昨日午前10時から生田神社会館にて開催しました「哲也先生を偲ぶ会」は、追悼句会には116名の方が全国からご参集頂き、成功裏に終了いたしました。前日とは打って変わって、朝から梅雨晴れとなり、「哲也晴れ」で有名であった晴れ男・哲也先生の御配慮を感じました。追悼句会に参加されず、献花だけでお帰りになられた方の数は調査中ですが、相当な数に登ると思います。後日正確な数字を報告します。

来賓として、日本伝統俳句協会関西支部長の千原叡子先生、生田神社名誉宮司加藤隆久様、俳誌「雨月」主宰の大橋晄先生、俳誌「貝の会」主宰の澤井洋子先生、紀伊民報(社長)小山洋八郎様、文學の森(専務)寺田敬子様、日光印刷出版社(社長)小川秀昭様、以上の皆様にお出で頂きました。

また、叡子先生、寺田恵子様、徳澤南風子名誉同人会長、野間田芳叢姫路支部長の皆様からは、先生を偲ぶお言葉を頂きました。叡子先生には句会の選者をお願いし、寺田敬子様も句会にも参加されました。五十嵐家からは櫻奥様と御息女まり様が出席され、櫻様は句会にも参加されました。

句会は当季雑詠3句の3句選。祭壇に飾られた哲也先生の大きな御遺影に見守られながら、句会は静かに進みました。一般選の披講は小柴智子・斉木富子のお二人が、選者の選は山之口倫子さんが、それぞれ担当されました。会場の写真や当日の記録は、追って九年母誌に掲載の予定です。

叡子先生には、巻頭の一句を含め、お採りになられた20句をすべてご講評頂きました、私は巻頭の1句を含め、特選に頂いた10句の講評をしました。私は今回の追悼句会を、先生を悼む句会では無く、先生に見守られながら、先生の持論であった「俳句は明るく楽しく」の教えに沿った俳句を楽しむ会と位置づけていましたので、前向きな句を頂く様にしました。

気になったのは、先生の温顔や優しさを詠んだ句が沢山あった事です。確かに先生は優しく、いつも温顔であられました。しかし、それは先生の表面的な特徴を捉えただけに過ぎないと思います。私たちは先生に俳句を教わったのです。先生の俳句の弟子なのです。先生が怖かった、厳しかった、優しかった等と詠んだところで、それがどうなるのでしょう。小学校の卒業文集で、先生が好きだったとか嫌いだった、と言っているのと同じでは有りませんか。先生との思い出や、先生に頂いたご恩を詠むのが弟子としての道ではないでしょうか。従って私は、この様な表面的な句、温顔の句は、申し訳ないのですが全て割愛させて頂きました。

会の終了に当たって、櫻奥様からお礼のご挨拶が有りました。この挨拶をするために、奥様は無理して句会に参加されたようです。奥様にとっても、私達にとっても、このご挨拶が一つのけじめになったと思います。また、このご挨拶をお聞きになって先生は、安心して十万億土の彼方に赴かれ、成仏された事でしょう。

私の思い付きから始まった催しでしたが、役員の皆様のご努力で立派に仕上がり、参加された皆様のご好評の内に終了することができました。何とも言えない爽やかさが残りました。

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