2022年5月19日木曜日

言葉を惜しむ

 俳句は十七音しかない、世界でも著も短い文学です。自分の感動を述べようとしても音数が少ないために、思いが十分に述べられない事があります。従って俳句に使う言葉は、よく吟味して、無駄がないようにしなければなりません。

ある句会で次のような句が投じられました。

    春草や土手を転がり燥ぐ子ら

春の土手で遊んで楽しそうに遊んでいる子供たちの様子が目に浮かびますが、この句には無駄な言葉があります。どれでしょう。答えは「子ら」です。常識的には、土手で転がって燥ぐのは子供です。大の大人が土手で転がって燥ぐでしょうか。土手を転がり燥ぎをり、としても子供の様子が見えて来ます。また、このような句もありました。

    分校へ新緑の中通学路

どうでしょう、無駄な言葉は有りませんか。答えは「通学路」です。分校へ通う道を通学路といいます。分校と通学とは、いわゆる付き過ぎです。分校は通学するところだからです。新緑の中通ひけり、とか、新緑の中通ひたる、で分かります。

一句が纏まったら、このような無駄な言葉や付き過ぎの言葉がないか点検しましょう。無駄な言葉を惜しんで、感動を無駄なく詠みましょう。

    ハイネに詩吾に俳句あり聖五月   伸一路

(雑誌「俳句界」6月号に私の「特別作品21句」が掲載されますのでご覧下さい)



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