台風14号がほぼ予想された通りのコースをたどり、岩手県沖の太平洋上で温帯低気圧になって消滅しました。宮崎県を中心に大きな被害が出ましたが、お陰様で九年母発行所には被害が無くホッとしております。読者の皆様は如何でしたでしょうか。お見舞い申し上げます。
さて、俳句とは関係は有りませんが、神武天皇東征神話をご存じでしょうか。日本最古の歴史書「日本書紀」と「古事記」によれば、神武天皇は天照大神の5世の孫に当たる方で、日向の国の高千穂宮を出発、瀬戸内海を漕ぎ渡って紀伊半島の南部から大和国を目指して進軍、土地の豪族らを征服して大和の国畝傍の橿原の宮にて初代天皇に即位されました。ご存じのように、これを神武天皇東征神話と呼んでいます。
私が常々不思議に思っていますのは、なぜ神武天皇となる青年が日向の国、今の宮崎県から遥かに遠い奈良県は大和の国に移住しようと思ったのか、ということです。神功皇后が朝鮮半島の新羅という国を攻めて凱旋し、九州で出産した後、政敵と戦いつつ、幼い応神天皇を伴って大和の国へ東征したという伝承が日本書紀や古事記に有ります。
日本史上最大の謎とされている邪馬台国論争。邪馬台国は九州にあったとする説と、大和に有ったとする説とが対立し、未だに決着がついていませんが、最近では、九州北部にあった邪馬台国が近畿の大和に東遷した、とする説が有力になっています。
いずれも九州から大和へ、西から東への移動となっています。日本の古代史上で、九州に生まれた文化が近畿の大和に移動したのは、どうも史実と考えられます。ではなぜ移動したのでしょう。私は、宮崎地方を襲った巨大地震、火山の大噴火などが原因で生活の継続が絶望的になり、人づてを頼って近畿に移動した、と考えています。
今回の台風14号の動きを見ていますと、昔の大隅の国(鹿児島県と宮崎県とを合わせた範囲)に上陸して、邪馬台国があった北九州を北上、出雲の国から一旦日本海に出て、新潟(昔の越の国)に再上陸。この動きを見ていますと、古代の文化の東遷の神話と重なるような気がしました。大隅の国に、今まで経験したことが無いほど大形で猛烈な台風が襲来し、地域の生活が破壊されたことが東遷の原因だったのかと、被害に遭われた方には申し訳ないのですが、しばし古代のロマンに浸ったことでした。
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