2014年3月3日月曜日

短歌と俳句

今日は、五節句の内、上巳(じょうみ)の節句、つまり雛祭りの日です。因みに、正月七日が人日、五月五日が端午、七月七日が七夕、そして九月九日が重陽の節句であることは、ご存じの通りです。時の流れは真に早く、お盆が済んだら、あっという間に師走。節句とは、季の移ろいを見つめ直そうとする、古人の知恵でしょうか。

ところで、江戸時代末期に、橘 曙覧(たちばなあけみ)という歌人がおりました。元は福井の大きな紙の問屋の跡継ぎ息子でしたが、思うところがあって、身代を弟に譲り、自身は山里の、壁から外がみえるようなあばら家に住んでいました。子供が家の中を走り廻っているような生活でしたが、机の上には書物がうず高く積まれてありました。この様子をご覧になった越前藩松平春嶽公が仕官を勧めましたが、頑として藁屋住まいを続けたという事です。その人の歌に、

   楽しきはたまに魚煮て子供らがうましうましと言ひて食ふとき   橘 曙覧

というのがあります。子供らがうまそうに魚の煮つけを食べています。それをさも満足そうに見ている作者。短歌ならではの抒情性が横溢しています。この情景を俳句に詠めばどうなるでしょう。先ず「楽しきは」は、主観表現ですからカットされます。「うましうましと言ひて」は説明的ですからこれもカット。この説明を何かの言葉の裏に隠せないでしょうか。たとえば「暖かし」。うましうましと言って食べている子供たちの、楽しい様子が隠れています。

        たまさかの煮魚食う子暖かし

こじ付けのような句ですが、こんなところでしょうか。播水の句で、この情景を見事に描いている句があります。

        団欒は紅き苺をつぶすとき   播水

言い過ぎず、言い足らず、団欒の楽しさと子供たちの情景を、見事に描いています。短歌と俳句との詠み方の違いが分かります。

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