今日の講座で、次の句を巻頭に頂きました。
ふた粒の幼の前歯梅ふふむ
生え始めた幼児。前歯がふたつ覗いている下あご。この生命感あふれる有様を見た感動を、「梅ふふむ」という季題を使って表現しています。「ふふむ」とは、ふくらむこと。花や葉がまだ開かない状態であること。漢字では「含む」と書きます。梅ふふむとは、梅の蕾が膨らんで来て、今にも開花しそうな様子です。
この句の場合、歯が見えて来ている訳ですから、この梅は白梅のこと。ふた粒と詠む事で、幼児の発育が順調であることが分かります。幼児の歯も、梅の蕾も、どちらも、ある程度の時間を掛けながら、少しづつ成長していくという過程があります。この成長過程を、ふふむという言葉が語ってくれます。この句は、季題の働きが良く出ていると思います。
同じ講座で、こんな句もありました。
退院の日の近づきて梅一輪
退院の日が近づいて来ました。辛い入院の日々、夢にも見た退院です。その日が近づき、心はわくわくしています。待ち遠しい退院の日、その思いを「梅一輪」が語ってくれる筈ですが、どうでしょう。私なら、「梅ふふむ」という季題を使います。ふふむという言葉には、日に日に膨らんで行くイメージがあります。そのイメージが、病気が日に日に良くなっていく喜びと重なるように思うからです。
梅一輪一輪ほどの暖かさ 嵐雪
これでは、退院は未だ大分先のことのようです。
0 件のコメント:
コメントを投稿