2015年11月3日火曜日

ホトトギス俳句大会の下見の記

昨日午前9時に阪神梅田駅改札口に5名が集合、地下鉄四天王寺夕陽ケ丘駅でお世話係の千恵子さんと合流し、四天王寺から七坂を経て、生國玉(いくたま)神社まで吟行しました。夜来の雨に降られる生憎の天気でしたが、6名の若者の意気は盛ん、何とか名句をものにせんと張り切っておりました。

先ず向かったのは四天王寺。朝鮮半島の文化を思わせる明日香様式の美しい屋根と朱色のエンタシスの柱。素晴らしい様式美に、聖徳太子の遺徳を偲ぶと共に、柱に残る機銃掃射の弾の跡にも、過ぎし日の感慨を覚えました。崇高な精神の美と人間の業の醜さ。巨大な門柱には焼夷弾の破片と思しき鉄片が喰い込んだまま。こうして時は流れて行くのでしょう。

七坂の一つ目は逢坂。おうさか、と読みますが、すぐ目の前に通天閣が見えました。上町台地はかっては難波潟と呼ばれる湿地帯に突き出た半島でした。生駒の山裾まで、今の大阪の市街地は河内湖という大きな湖でした。太古には、その周辺に象や河馬、わに等が棲んでいたそうです。その台地の上から下の湿地帯へ降りる道の一つが逢坂だったのでしょう。

七坂の一つ、愛染坂の傍らに星光学院という学校があり、その校庭にかつて「浮瀬(うかむせ)亭」という料亭が有って芭蕉や蕪村が使っていたという案内板がありました。その頃の句碑なども有るのですが、拝見には学校の許可が必要です。しかしそんな事に負けてはいけません、見なくても詠めるのが俳人です。口縄(くちなわ)坂では、ある寺院のご厚意で、庭に祀ってある芭蕉堂を拝見させて頂きました。

昼食を済ませて最後の吟行地、生國玉神社に参拝しました。大阪文化、否、大坂文化の中心的な土地です。周りに林立するラブホテルに先ず驚きます。上方文化の、人間の欲望の根源を問うた文化の環境がここに有りました。心中天網島の道行きの段を、ふと思いました。境内には「じょうるり神社」という摂社も有り、諸芸に志す方々の絵馬札が沢山掛かっていました。

久し振りに歩いた一万歩。紅葉には未だ少し早かったのですが、石蕗や山茶花があちこちで見られました。午後には雨も上がり、楽しい吟行でした。


0 件のコメント:

コメントを投稿