2021年2月15日月曜日

言葉に対する感性

 ようやく新型コロナの感染に翳りが見えて来ました。ワクチンの第一陣が空路、米国から到着し、本日付けを以て厚生労働省の使用認可も下りました。17日から医療関係者への第1回目の接種が始まります。高齢者も4月には接種が始まるとか。ようやく大きな峠を越えようとしています。私達が生きている間に、未だ何度かの感染病のパンデミックが有るかも知れませんが、今回の経験を活かして克服したいものです。

さて今日は、言葉の持つ感覚について学びましょう。ある句会で投じられた句を参考にさせて頂きます。

      早春の風切る二人サイクリング

一見、何も問題の無い句のように思えます。しかし私の目は「風切る」の部分できらりと光りました。何故でしょう。私の感覚では、自転車に乗って風を切るのは、「早春」ではなく、「風光る」頃から「風が薫る」頃の様に思います。一年間を人生に例えますと、中学生から高校生の頃でしょうか。若々しいエネルギーを感じますが、早春ではこのエネルギーがまだ発揮されない時期ではないでしょうか。「風切る」という言葉には、この様が感覚あります。

      参拝者きりなき宮の梅ふふむ

この句の「きりなき」という言葉に対して、私は違和感を覚えるのです。なぜでしょう。「きりなし」は「限無し」と書き、「際限がないこと、絶え間がないこと」と広辞苑にありますが、私は、この「きりなき」という言葉には、若干後ろ向きのニュアンスを感じます。煩わしい、無駄な、意味がない、というような感覚が有るのです。掲句では「梅ふふむ」と前向きな感じ(プラスベクトル)を詠んでいますが、「きりなき」に消極的な思い(マイナスベクトル)を感じるのです。

      参拝者絶えざる宮の梅ふふむ

この句と比べてみましょう。後者はプラスベクトルが揃っていますが、掲句の場合はマイナスとプラスとが混在しているような感じがします。

言葉に対する感覚(言語感覚)は感受性(感性)の一つですが、訓練によって向上させることができます。それには俳句や俳句に関連する書物を沢山読むこと、NHKのニュース番組で耳から入る言葉を聴く事、などで訓練出来ます。同じ師系の作者の句や雑誌の記事を読むのも訓練になります。また、ニュースを読むアナウンサーの言葉に耳を傾け、読み方に誤りが無いか、調べに乱れが無いかを聞き分けることも訓練の一つです。これは食事しながらでも出来ます。是非、言葉に対する感性を磨いて下さい。

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