俳句総合雑誌を出版している企業が、全国規模で俳句を募り、優秀な作品には表彰状と共に纏まった額の懸賞金を進呈している。普通に見られることであり、特段珍しいことではない。私達の仲間も、毎年何某かの成績を挙げ、賞金を手にする人がある。結構な事で咎めることではない。
その昔、播水先生は懸賞金付きの俳句募集には批判的だった。俳句を詠んで金を貰うなど以ての外、というお考えだったのだろう。虚子の全盛時代であり、ホトトギスの雑詠に一句入選しただけで村中に赤飯や記念の手拭いを配った時代である。懸賞金など出さなくても、名誉という褒美があったのだ。虚子に採って頂いた句を家宝にしている人もあったくらいだ。
しかし今の時代は実利主義。名誉だけでは全国から作品を募るのは難しいのかも知れない。しかし、最近の応募状況を見ると、正直がっかりすることが多い。応募者の中には十句・ニ十句と投句している人がある。ひどいのになると、一頁全部同じ人ということもある。
下手の鉄砲も何とやらで入賞しても何とも思わず、堂々と写真まで載っている人もある。情けないとはこのことだ。願わくは、一句だけ投句してそれが大賞に選ばれるという、本当の実力で勝負したい。膨大な数を投句して入賞した人の写真を見ていると、お金持ちなのだけれど心が貧しい人なのかも、と思ってしまう。
0 件のコメント:
コメントを投稿