昨日は明石市の勤労福祉会館にて明石市高年クラブ連合会主催の、3回目の俳句の講演会が開催されました。1回目が開催されたのは昨年10月27日で、初心者向けの俳句づくりを語ってほしいとのことでしたので、「俳句四季」9月号に載せました「新・句作のポイント」の5か条を元に、俳句とはどんなものかというテーマでお話ししました。2回目は1月26日に開催され、作句上の約束事と実際の詠み方についてお話ししました。最終回の3回目が2月24日に開催され、受講者の方に事前に2句詠んで事務局に送っていただいたものを、講演会の席で全の句について選評しました。寄せられました35句について、1句1句、季重なりや切字の使い方、季題の活かし方、正しい送り仮名など、細かくお話ししました。
最後の質疑応答の時に、伝統俳句と現代俳句についての質問がありました。私は俳句修行を始めた30歳代後半から一貫して伝統俳句を学んで来たこと。伝統俳句が好きでそれ以外の俳句を詠んでみようと思ったことが全くなかったこと。絵画でも具象画と抽象画が有って、私は抽象画が良く分からない。俳句でもこれと同じで、自分が好きだと思う道を学べばいいのであって、どちらがどうのという問題ではない。こんなことを申し上げました。
有る俳句作家についてどう思うかという質問がありましたが、わたしはその作家が嫌いで、俳句作家として評価しない、と申し上げました。私は詩人です。理屈は好みませんし、論理的な思考もできません。自分に合わないものまで取り入れる余裕は、年齢的にもありません。嫌いなものは嫌い、それだけです。何故と問われても、嫌いだから。それしかありません。
俳句雑誌を読みますと、俳句を理論的に論評している記事がありますが、私はそんなことに与しません。ただひたすら満足のできる句を詠みたい、ただそれだけです。俳句は理論ではありません。俳論を戦わせる時間が有れば、実作に充てるべきです。播水も実作主義を貫きました。ひたすら詠む。只管打吟。こんな言葉はありませんが、詠むことと座禅を組むこととは同じだと思います。虚子は、俳句は極楽の文学だと申されました。ひたすら詠んでこの言葉を成就させたいものです。
講演会の後で、受講者の方から、もっと続けてほしいとか、句会をしたいとの要望が寄せられました。私の思いが伝わったのではと喜んでいます。勉強会のようなものが出来たらよいなと思っています。
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