「鳥帰る」という言葉を「ホトトギス俳句季題便覧」で検索すると春三月の季題となっている。昨日、拙宅の近くを流れている宮川の河口付近を散策していたら、つがいのヒドリガモが群れになって泳いでいた。帰る途中なのだ。何故分かるか。それは「つがい」がヒントになる。
日本に渡って来た時はつがいを形成していない。オス・メス混成でシベリヤから渡って来る。それが日本で冬を過ごす間につがいが出来る。越冬の終わりの頃には、ほとんどの鴨がつがい単位で餌をあさっている。集団に見えるのは、このつがいが集まっているだけで、集まったからといって、つがいが壊れることは無い。必ずオスとメスがつがいになる。生物にとって子孫を残すことは究極の価値なのだ。
このようなつがいの集団が大きくなって、やがてシベリアに向って飛び立ち、彼の地で産卵し子育てを行うのだ。その頃にはオスの羽はメスと同じ色に生え変わり、外敵に対して保護色となる。従って、シベリアの人は鴨のオスの、あの美しい姿を知らないのだ。
日中、何組かの鴨のつがいの集団を見かけ、翌朝いなくなっていたら、北へ旅立ったと解釈して間違いない。鳥帰るとはこのことだ。地球温暖化の影響でシベリアが暖かくなってきており、渡って来るのが遅く、帰って行くのが早くなってきている。3月では遅すぎるのかも知れない。これからは毎朝の探鳥(探鴨)が楽しみだ。