2025年1月30日木曜日

鳥帰る

 「鳥帰る」という言葉を「ホトトギス俳句季題便覧」で検索すると春三月の季題となっている。昨日、拙宅の近くを流れている宮川の河口付近を散策していたら、つがいのヒドリガモが群れになって泳いでいた。帰る途中なのだ。何故分かるか。それは「つがい」がヒントになる。

日本に渡って来た時はつがいを形成していない。オス・メス混成でシベリヤから渡って来る。それが日本で冬を過ごす間につがいが出来る。越冬の終わりの頃には、ほとんどの鴨がつがい単位で餌をあさっている。集団に見えるのは、このつがいが集まっているだけで、集まったからといって、つがいが壊れることは無い。必ずオスとメスがつがいになる。生物にとって子孫を残すことは究極の価値なのだ。

このようなつがいの集団が大きくなって、やがてシベリアに向って飛び立ち、彼の地で産卵し子育てを行うのだ。その頃にはオスの羽はメスと同じ色に生え変わり、外敵に対して保護色となる。従って、シベリアの人は鴨のオスの、あの美しい姿を知らないのだ。

日中、何組かの鴨のつがいの集団を見かけ、翌朝いなくなっていたら、北へ旅立ったと解釈して間違いない。鳥帰るとはこのことだ。地球温暖化の影響でシベリアが暖かくなってきており、渡って来るのが遅く、帰って行くのが早くなってきている。3月では遅すぎるのかも知れない。これからは毎朝の探鳥(探鴨)が楽しみだ。

2025年1月13日月曜日

新年の事業の成功

 昨年末に体調を崩し、「恙身に年酒と言へど許されず  伸一路」という状態でしたが、1月8日の汀子生誕祭俳句界の司会と選者をこなし、12日開催の九年母全国新年俳句大会を無事終えました。汀子生誕祭俳句界には各結社から96名の参加がありました。九年母会が当番に指名され、編集部を中心に6名の女性方に披講などのお世話を頂きました。句会ではこの6名全員が稲畑廣太郎先生の選に入り(内2名の方は特選)、大いに意気が揚がりました。

この句会では、参加された他結社の方の、九年母会に対する見方が変わったと感じました。これは創刊100周年記念事業の成果だと思います。関西ホトトギス同人会の事務局の重鎮の方が、「九年母さんがこんなに古い結社だったとは知らなかった」とつぶやかれたのが印象的でした。

九年母新年俳句大会には44名の会員の参加があり、大いに盛り上がりました。会が始まるまで須磨寺を吟行された方も沢山おられました。播水の句碑を拝見したり、本坊前の庭の寒牡丹を見たりと句材も豊富にありました。九年母賞受賞者や選者特選賞を受賞された方の表彰や、新推薦作家、新同人の披露等の華やかな行事の後、美味しい食事を頂きました。その後句会に入り、有意義な時間を過ごしました。

私の主宰就任の翌年の正月から初めて今年で9回目。句会にはちょうど良い人数です。今年参加できなかった方も来年は是非ご参加ください。これで年初の大きな事業が終わりましたので、もう暫く静養をさせて頂きます。

2024年12月14日土曜日

漣月集の購読について

 この度の九年母創刊百周年記念祝賀事業の一環として刊行しました私の随筆集「漣月集」を、紀伊民報社で購入の取り扱いをして頂けることになりました。またそのための広告も計画して頂いているとのことで、喜んでいます。

先般の百周年記念祝賀会に参加された方には一冊づつお渡ししました。また当日ご欠席の方で高額の祝い金を頂きました方には別途お送りする予定です。その他の皆様にもお分けできますので句会単位でお申し込みください。句会に入って居られない方や九年母会員でない方でもお受けしていますので、下記までご連絡下さい。消費税・送料込みで一冊1500円です。

      080-1526-6932  小杉

ご連絡をお待ちしております。なおご好評を頂きました「俳句四季」掲載の『レジェンド我が源流 五十嵐播水』三部作は、時期を見て九年母誌に掲載の予定です。ご期待ください。

2024年11月22日金曜日

訃報

 ホトトギス同人で、九年母同人・推薦作家の伊藤虚舟様(摩耶山天上寺貫主伊藤浄厳大僧正)が、11月21日、齢87歳をもって逝去(遷化)されましたのでお知らせします。

      通夜 11月26日(火)午後5時より

      葬儀 11月27日(水)午前10時より12時まで

      場所 摩耶山天上寺 轟不動堂にて

九年母会からは、私の他、役員数名が葬儀に参列の予定です。参列を希望される方が居られましたら、私までご連絡ください。080-1526-6932

2024年11月18日月曜日

100周年祝賀行事の終了

 昨日、芦屋市内のホテルにて、九年母創刊100周年記念祝賀会が、約120名の方が参加され、盛大に開催されました。夜明けの頃に激しい雨が降りましたが、準備が始まる午前8時30分頃には晴れて来て、気温も23度までぐんぐん上昇し、11月下旬とは思えないような暖かさとなりました。まさに100周年を祝うにふさわしい天候でした。

リコーダーの厳粛な演奏に引き続き、九年母会を支えて来られた何万もの諸先輩方を偲んで深い黙祷を捧げました。主宰の挨拶に引き続き第1陣の来賓の祝辞を頂きました。住吉大社の小出権禰宜様の講演「言葉の神様住吉さん」を拝聴して式典は終了。引き続き祝宴が始まり先ず第2陣の来賓の祝辞を頂いた後、食事会に入り、大正琴の活き活きとした明るい演奏で会場の雰囲気は最高潮に達しました。演奏の後、出版社関係の来賓の祝辞や主宰の友人、遠隔地から参加された会員による祝辞が続き、最後に実行委員長の謝辞で締めくくられました。

主宰が挨拶の中で、主宰就任以来10年にわたって主宰を支えて来られた前編集長の片岡橙更さんに副主宰をお願いしたいという思いを述べられ、満場の拍手で支持が表明されました。主宰の挨拶に続いて、プログラㇺには予定されていなかったのですが、片岡新副主宰が受諾の挨拶をされ、会場から大きな拍手が送られました。

斯くして、100周年の祝賀会は幕を閉じましたが、やや狭い会場に100名を超える人が入ったこともあり、人と人との距離感が近く、手作り感のあるアットホームな祝賀会だったと好評を頂きました。

今回は、単に何号記念という通過的な儀式ではなく、100年という歴史を振り返って、通って来た道を再認識し、先人のご苦労を偲んで感謝を捧げると共に、将来への決意を固める契機でありました。乾杯をして終るものではないのです。

主宰が月刊俳句総合雑誌「俳句四季」10月号から12月号までの3か月連載で播水についての論文を発表したのも、100百周年の記念として同誌の編集部が企画して下さったものです。今回の100周年関連の随筆を合計すると、原稿用紙50枚を優に超えました。どのように評価されるかは分かりませんが、100年目の一つの区切りにはなると思います。今後も、「九年母」の沢山の主宰方のレジェンドが書かれることを望みます。

4月に設置された記念句碑と今回の記念祝賀会とで、100周年記念行事は全て終了、久しぶりに平穏な作句活動に戻ることになりました。ご協力いただいた全ての皆さんに、心から感謝申し上げます。

2024年11月13日水曜日

播水・哲也の資料

 いよいよ九年母創刊百周年記念祝賀会が近づいてきました。900号や1000号の記念行事を行ったときも苦労しましたが、今回は百年の歴史と播水の生き様を描くという仕事がありました。播水と共に過ごしたことがない私にとって、様々な資料と播水の著作から描き出すしかありませんでした。原稿用紙50枚という膨大な仕事でしたが何とか遣り終えました。九年母会の中でどのように評価されるか分かりませんが、私としては満足しています。

百年後の二百周年記念事業のために、どのように資料を保管して行けばよいか考えなければなりません。播水旧居売却時に私が立ち会って、膨大な資料を市立姫路文学館に寄贈しましたが、哲也の資料はほとんど残っていません。取り敢えずは、九年母関連の記事が載った俳句雑誌を保管し、主宰が代々伝えて行こうと思っています。因みに、毎月の九年母誌は、国会図書館、姫路文学館、虚子記念文学館、山口誓子記念館や神戸市内の主要な図書館にお送りしています。手元に九年母関係の資料をお持ちの方は、ご相談いただければ幸いです。

(ご連絡)祝賀会の準備のために、お送りいただきました各句会の後日選は祝賀会が済むまで私の手元でお預かりし、祝賀会が終わりましたら順次選をしてお送りしますので、もう暫くお持ちください。


2024年10月16日水曜日

サウナの効用

 今年の5月から取り掛かった、俳句四季誌の連載「レジェンド我が源流・五十嵐播水」三部作の執筆が終わりました。同時に大阪俳人クラブからご依頼を頂いた「九年母の百年」という随筆や、俳句四季11月号掲載の「今月のハイライト・九年母創刊百周年」の記事の執筆も終り、「九年母」11月号の選後評や随筆も終わりました。その間、西播磨俳句大会や田辺俳句大会の応募句の選もさせて頂き、充実した芸術の秋を過ごしました。

まだ幾つか注文を残しては居りますが、大きな仕事が終了したので、疲れをとるためにいつものスーパー銭湯に行ってきました。お目当ては大阪湾の海底から更に1000m掘り下げた所から湧く温泉とサウナ。塩分を含む40度くらいのお湯にゆっくりと浸かります。十分温まったらサウナ。昨日は室温が95.5度でしたが、熱波師という男性がタオルを振り回して、熱風を入浴者一人一人に吹きかけてくれます。これが熱いのなんの。皮膚がピリピリします。

一通り終わって、次はもう少し熱くしますと言われたので、私はここで退散。高齢者にはこの辺が限界で、これ以上熱波に当たると干物になりかねません。若い人は16度の水風呂に飛び込んで熱を冷ましますが「年寄に冷や水」はいけません。ぬるめのシャワーで仕上げ。

こうして脊髄の芯まで十分に温まり、夕飯時にビールを頂いて午後九時に床に入りました。翌朝カラスの声で目が覚めて時計を見て驚きました。なんと7時過ぎ。たっぷり10時間、それもノンストップの爆睡でした。スズメの声が軽やかに聞こえて来て、ふと不安になりました。ひょっとするとここは天国と違うか?えらいことになった、と。そのくらい体が軽くなったのです。

サウナをご存じない方は、騙されたと思って試してみましょう。但し、くれぐれも干物にならないように。