2014年2月1日土曜日

月並みの句

 虚子の著「俳句はかく解しかく味わう」(岩波書店)の中に次の一節があります。「月並的の句はあまり作った事が無いから、その真似をすることは出来ぬが、要するに月並は、或景色を面白いと感じても、その面白い景色をそのまま叙することをしないで、何とか其処に理屈をこじつけ、その理屈を面白がるのである。たとえば、三日見ぬうちに蕾であった桜が、もう満開になってしまった、というだけでは満足しないで、「世の中は三日見ぬ間に桜かな」といわねば承知せぬ。即ち桜のまたたくうちに咲くという事を世の中のことにたとえ、世の転変は皆かくの如きものであるといわねば、面白くないように心得ているのである。」

ところで、今日の俳句講座でこんな句がありました。

     核家族言はれて久し雑煮膳

雑煮の膳に集まる家族が少なくなった、ここまでは事実です。昔は大家族が集まって賑やかに雑煮を祝ったものだが、今ではこの有様。核家族化が叫ばれて久しいが、やはりその影響だろうか。この部分が川柳的です。次の句はどうでしょう。

    福笑ピカソのやうな顔になり

この句は見たままの感想を句にしており、俳句として好感が持てます。

    福笑ピカソもミロも苦笑い

ここまで詠むと月並みの匂いのする句になります。理屈を楽しんでいるからです。ピカソやミロの絵を念頭に、あんな絵を描くピカソやミロでも、このお多福の顔には苦笑いするだろうな。正月の風物詩としての、福笑という季題ではなくなり、もはや単なる季語。理屈に走っていないか、絶えず警戒して、月並み句にならないように注意しましょう。

赤星水竹居著「虚子俳話録」(講談社)にこんな問答が載っています。

    某曰く。   先生、百年の後には我々の俳句はいったいどうなるのでしょうか。
  
    先生曰く。  再びもとの月並に返りますね。     (昭和10年12月17日)

虚子がこの言葉を発せられて79年、もうすぐ100年です。
  



0 件のコメント:

コメントを投稿