ホトトギス新歳時記で夜業を引いてみると「ビルや工場で、夜まで明るく灯をともして仕事をするのを夜業という。とくに秋の夜にその趣がある」とある。虚子編新歳時記にも「工場で夜まで仕事をする場合を夜業をするという」とある。ホトトギス新歳時記の解説にはビルが付け加えられているのが時代の変遷を物語っているが、このために夜業という季題が変質してしまっているように思われる。その変質を強調するために、最後の「とくに」以下の文章を追加したのだろう。例句に挙げている二句とも、零細な機織り工場と個人の手仕事であり、企業や官庁の夜業の句は無い。
これに対して角川の歳時記では俳句第歳時記も合本歳時記も、ともに夜業をよなべの傍題に置いている。夜の仕事は本来的にはよなべなのだ。誰も夜中まで仕事をしたくない。夜は一日の労働の疲れを癒す時である。それを強いて働かなければならないのは、生活が苦しいか、農業経営のためか、非常時の緊急出動のような場合だ。
先日の本部例会で夜業という兼題が出された。しかし大半が残業を含めた夜勤の句だった。夜勤は勤務体制の都合で日勤と夜勤とにシフトが分かれ、夜間に働く勤務形態である。病院の看護師の勤務を考えればわかりやすい。別に生活が苦しいわけではなく、夜間の決められた時間から時間まで働くのである。当然のことであるが夜勤に季節感はない。季節感が無ければ季題・季語ではない。
大阪の市役所や府庁、OBPにある高層ビル群では夜遅くまで仕事をしているが、これは四季を通じて年中有ることで、無いのは正月三が日くらいのもの。このような職場での夜間の仕事は残業で有り、時間外手当も付く。春の残業と秋の残業に季節感の違いがあるかどうか。
虚子の頃とは、仕事の環境が違うのだ。虚子の頃は工場はコウジョウではなくコウバだっただろう。高層ビルは無なく、二階建ての商家だったかも。それを、ホトトギス新歳時記を初めて編集する段階で、夜業という季題を残すために無理をした、それが混乱を生む原因ではないだろうか。
秋の季題を使うことによって季節感が出せる。秋の夜勤の句を詠んでみよう。
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