2014年5月11日日曜日

俳句と敬語

我が野鳥俳句教室も国際化して来ました。今週一週間にアクセス頂きました読者を国別に見ますと、日本の方が257件と多いのは当たり前ですが、次いで多いのはアメリカで122件、豪州が2件、ギリシャが2件、ドイツが1件となっています。このほか先週はウクライナから5件アクセスが有った他、ロシア、ベトナム、韓国、タイ、マレーシアなどからもアクセスして頂いています。これだけ様々な国の方がご覧いただいているというのは、それだけ全世界に俳句の愛好者が多いという事かも。いずれにせよ有難いことです。

さて、ある句会で次の句が出されました。

    母の日や母生きをれば白寿なる

    母の日や母居るだけでそれでよし

特に問題も無いのになぜ、と思われるでしょう。句意も明確で、内容には問題有りませんが、表現上に難点があると思うのです。皆さんは高校時代、漢文の時間に論語を習った時、「師のたまわく」と読みましたか、それとも、「師いわく」と読みましたか。戦前に教育を受けられた方は前者でしょうが、戦後世代は後者だと思います。英語ではsaidでしょうが我が国は言霊の幸う(さきはう)国。豊かな言語表現の文化が有ります。

上記の2句は、母が生きていたら、母がいるだけで、と詠んでいますが、どうも「師いわく」の感じがするのです。俳句には敬語はいらない、といわれますが、母に尊敬語を付けても、読者は違和感を感じません。むしろその方が、作者のお母さんに対する敬愛の情が感じられ、読者には好もしいものです。たとえば、

    母の日や母の在(おは)せば白寿なる

    母の日や母在(ま)すだけでそれでよし

としたら如何でしょう。誰にでも母という人が有り、腹を痛めて生んで下さり、慈しみ育てて下さった有難い方。その母に対して「生きておれば」と言うのは如何なものでしょう。作者は自分の母親だからと謙遜して詠まれたのでしょうが、読者は「何という非人情な人だ」と思うのです。俳句に敬語は使わないとはいうものの、適当なスパイスは効かせたいものです。

ちなみに、最初の句の「母の在せば」の母は妣とする方が分かりやすい。妣は「はは」と読み、亡くなった母のこと。存命中の場合は母と書きます。

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