今日は千鳥吟行句会の例会で、神戸の相楽園に行って来ました。通常なら、木曜日は休園日なのですが、さつき祭の最中ですので開園していました。お目当てのさつきは満開を過ぎ、少し疲れが見えていました。
さつき以上に目を引いたのが樟の大樹の若葉でした。市民の樹に認定されている大楠は樹齢が500年とか。それでもみずみずしい若葉を茂らせ、大枝が青嵐に揺れているのを見ると、人間の力の微力さを思い知らされます。
ところで、本日の句会で、薄暑の句がいくつかありました。
江戸地図に我が町探す薄暑かな
池に棲む鳥の姿のなき薄暑
産物に学ぶふるさと館薄暑
薄暑という季題をどう解釈すればよいでしょう。ホトトギス新歳時記に曰く、「歩いているとうっすらと汗ばんできてちょっと暑いなと思う」。角川合本歳時記に曰く、「初夏でも好天の日は気温が上がり、汗ばむほどになる」。このうっすら汗ばみ、ちょっと暑いなと思うことを、どう感じるか、です。辛いと思うか楽しいと思うか。
さあ夏が来る、嬉しい、待ち遠しい、という薄暑なら、ワクワクする楽しい季題です。日増しに暑さが加わり、夏はいやだ、汗をかくのが嫌だ、という薄暑なら鬱陶しい季題です。掲題の3句の季題の働きは、どちらでしょう。
実はもう一つ、薄暑の句が有りました。
坂道の先にまた坂街薄暑
坂を登って来たらまた坂が見えて来た、もううんざりだ。この句の薄暑は、はっきりマイナスベクトルを指していますね。薄暑という季題から、作者の気持ちが伝わって来ます。ところが上記の3句からは、作者の気持ちが伝わって来ません。古地図から自分の街を探すことが楽しいのか辛いのか。池の水鳥が居ないのが楽しいのか辛いのか。三番目の句には、少し前向きな思いが感じられますが、季題の働きとしては弱い。
夏の初めだから薄暑という季題を使えばよい、というのでは季題の働きを無視しているとしか言いようが有りません。季題の働きの無い句は俳句ではない、とは虚子先生の言。季題は俳句の命だと、汀子先生は仰っておられます。心したいものです。
四阿の昼餉緑の風の中 伸一路
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