2014年5月24日土曜日

新茶

昨日は芦屋駅前のクリニックで、胃と大腸の内視鏡検査を受けました。しゃっくりの原因を探る検査です。ところが、胃にはまったく問題なし。大腸も、8ミリ大のポリープが一つありましたが、その他には問題なし。結局、消化器には、しゃっくりの原因になる病的な変化が無い事がはっきりしました。先生のお話では、ストレスで胃の働きが弱っているのかも、との事。こうなったら柿の蔕に頼るしかないかもしれません。鰯の頭では有りませんが、柿の蔕も信心から、です。この秋には、皆様にお願いして、柿の蔕を集めることにします。

さて、3講座の共通兼題に「新茶」が有りました。

       詫びを説く茶人を偲び汲む新茶

ある講座で出された句です。随分と遠回しな言い方をされているな、と思いました。上五・中七の長々と述べている内容は、詰まる所「利久」の事です。何故、利久とはっきり言わないのか、そこが理解できません。読者は、利久が詫びを説いた茶人であることを、先刻ご存じなのです。読者を侮ってはいけません。

       新茶汲む利久の徳を偲びつつ

としてみたらどうでしょう。

       うひうひし二人もてなす新茶かな

新婚の夫婦が揃って、仲人さんのところへ挨拶に来られた情景でしょうか。いかにも初々しい夫婦に新茶がよく合います。着眼点が良いので、互選に良く抜けていました。しかし「うひうひし二人」これは窮屈な表現です。何故か。うひうひ、が形容詞の語幹の部分で、「うひうひ・しく見ゆ」「うひうひ・しき姿」と変化をします。つまり、二人という名詞に繋げる場合は「うひうひしき二人」となります。こうすると、句が伸びやかに、ゆったりとします。

       うひうひしき二人もてなす新茶かな

口語で言えば「初々しい二人」です。「初々し二人」との違いを感じて下さい。
    

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