金沢の征一様のお句が、本日の朝日俳壇汀子選にて巻頭の栄誉を得られました。真におめでたいことです。
落花飛花一山退り行く如し 征一
桜の花びらが飛び舞う、吉野の光景か。作者に向かって吹いて来る花吹雪を、一山が後退してゆくようだと感得した作者の感性のひらめき。俳句は、天啓の如く、時として瞬間的に授かる事が有ります。これは、心に適度の緊張感が有るからこそ授かるものであって、弛緩した心では、感度の鈍いアンテナのように、緩く張った蜘蛛の囲の如く、神の啓示を捉えることができません。緊張感を持ち続ける修練は、並大抵の努力ではできませんが、汀子選の巻頭を授かる句というのは、このような修練の賜物だと思います。益々のご件吟をお祈りします。
さて、先日の句会で、このような句が有りました。
案内の英語放送城若葉 芳叢
姫路城の観光客も国際化したので、英語で案内放送を流しているのです。若葉という季題の働きが見事。とても89歳の作品とは思えない、若々しいエネルギーを感じます。
畑遅日手元明りの翳るまで 敦子
日が暮れて、鍬を持つ手が見えにくくなるまで畑仕事に勤しむ作者。ミレーの絵のような光景。遅日という季題が効いています。
いずれも句歴数十年、九年母を代表する作家の作品です。九年母調と呼ばれるゆったりとしたリズム感、伸びやかな調べに、余情が漂っています。ホトトギス調とは違った九年母調も、また良いものです。
翻る葉裏の白さ萩若葉 伸一路
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