2014年6月18日水曜日

喜雨と慈雨

今月7〜8日と、福知山市で北近畿ホトトギス俳句大会が開催されました。汀子・廣太郎両先生をお迎えし、大いに盛り上がったようです。金沢の征一様も参加され、その折にお詠みになった句をお送り頂きました。

     万緑も雨意の深さも丹波ぶり     征一

見渡す限りの杉林の緑と、走り梅雨の雨意の深さは、さすがに丹波だ、という骨の太い掴み方が見事。目の前にある小さな物に拘らず、大景をがっしりと捉えた、益荒男振りの句です。

     老鶯の声も景色となる美山      征一

美山町は丹波高地の北部にあり、由良川の上流域に位置している、林業の町で、特に杉材の産地として有名です。ここまで説明すれば、夏鶯の声が景色になる情景が目の前に広がって来ると思います。お句をお送り頂き、有難うございました。

ところで、先日の講座で、次のような句が出されました。
        
      この雨は慈雨とやいはむ梅雨の入り

この句を拝見して、慈雨と梅雨との関係を思ってしまいました。慈雨によく似た言葉に喜雨というのがあり、夏の季題とされています。喜雨を歳時記で見てみますと、角川合本歳時記には「日照り続きで田は干割れ、草木はしおれ、枯死しようとしているとき、待ちかねていた雨が沛然と降って来る。これを見る農家の喜びはいかばかりであろうか。万物はまた生気をとりもどして、共にこの慈雨に歓喜する。」名文です。良く分かる解説です。これが喜雨という季題なのです。

梅雨の入りくらいの雨で、はたして慈雨と言えるでしょうか。 万物が歓喜する雨と言えるでしょうか。数冊の歳時記を通覧しましたところ、
    
       慈雨到る絶えて久しき戸樋奏で     虚子  

という句が有りました。調べた範囲では、慈雨を季題としている歳時記は無かったのですが、日本大歳時記に喜雨の傍題として有りました。旱魃が続いた時の苦しみが大きければ大きいほど、喜雨を慈雨と詠みたくなるのではないでしょうか。 喜びの雨に留まらず、惠の雨、慈しみの雨として詠みたくなるのでしょう。           

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