語感とは言語感覚のこと。テレビのニュースを聞いていて、あれ?と思う事があります。例えば、テレビのお笑いタレントの「食べれません」という言葉。何とも思いませんか?別に、と言うあなた!言語感覚が変ですよ。正しくは「食べられません」ですよね。
さて、本日のある新聞の俳壇で、こんな句が目に付きました。
父画きし軸に掛け替え夏座敷
替え、という送仮名にミスがありますが、それ以前に、上五の「父画きし」という表現が何か変です。「父画きし」とは、父が画いたのか、それとも父を画いたのか、どちらでしょう。この句を素直に読めば、父を画いた軸、と解釈できます。しかし、油絵で描いた肖像画は見かけますが、お父さんの姿を画いて軸にするのは稀です。という事は、お父さんが画いた軸、という事か。其れなら、父の画きし、とするべきではないでしょうか。私なら、父の手の、と詠い出しますね。
同じような問題ですが、先日の句会で、こんな句が出されました。
祖母語る戦争秘話や夾竹桃
句意は分かります。お婆ちゃんが戦争の秘話を語ってくれたのです。しかし、何か変です。もう一度この句を、心を無にして読んでみましょう。戦争秘話の中にお婆ちゃんの事が出て来る、そう読めます。お祖母ちゃんが語ってくれるならば、祖母の語る、とするべきでしょう。
何か変、と感じることは重要なことです。語感に合わないから、あれ?と感じるのです。なぜこんなことになるのでしょう。その原因は、上五を無理に5音に抑え込もうとすることにあります。無理な省略です。字余りも一つの技法です。窮屈だと感じたら、思い切って字余りにしてみましょう。窮屈と感じるのも語感です。普段からニュースなどで、言葉に対する感覚を磨くことも大切です。
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