颱風11号が通過しました。皆様の地方では、被害のほどは如何でしたか、お見舞い申します。当初、気象庁は九州上陸を予想していましたが、結果的には四国の東部に上陸、一旦、瀬戸内海に抜けた後、赤穂市付近に再上陸。兵庫県を縦断して日本海へ抜けました。
久し振りに強い颱風がすぐ近くを通過しましたので、強風と高潮を心配しましたが、無事でした。各方面からお見舞いを頂き、有難うございました。芦屋川は鉄砲川ですので、濁流が逆巻いていましたが、あっという間に流れは収まりました。六甲山の山崩れも無く、ホッとしています。
全国各地では甚大な被害が報告されています。被害に遭われた方には、お気の毒なことでした。お見舞い申します。
ところで、今回のような秋の大嵐を、野分と言ったり颱風と言ったりしています。実作に於いて、どちらで詠めば良いのでしょう。野分は古代から使われている雅を含んだ言葉。これに対して、颱風は気象用語。typhoon(タイフーン)に颱風という漢字をあてたもので、台湾方面から大陸に吹いて来る暴風雨だから颱風というとの事。
要するに、野分は秋の野を吹き分ける強風というイメージであるのに対し、颱風という言葉は、熱帯性低気圧という科学的な、或は東南アジアやフィリピン沖など、地理的な広がりのある言葉です。はたしてそれだけでしょうか。
鎌倉時代の元寇では、二度とも大風が起こって元の船団が壊滅しましたが、当時、現代のように気象予報が発達しておれば、元軍は侵攻の時期を変えたことでしょう。予想もしていない暴風が突如吹く、これが野分ではないでしょうか。海の上で命を守るために、漁師は様々な風の変化を発見し、この変化に敏感に反応するようになりました。やまじ・おしあな・送りまぜ・鮭颪・雁渡しなどの漁師言葉が季題になっています。これに対して、颱風は、事前に進路や風速などが分かっている秋の暴風、のように思います。
私たち現代の俳人は、どちらを使えばいいのでしょう。私は野分を使いたいと思います。颱風という言葉には、どうも即物的な、学問的な匂いがします。それに対して野分には雅な響きが感じられます。甚大な被害を目の前にして、雅な野分で詠めるか、という反論が有るでしょうが、俳句は詩です。被害の記録では有りません。東日本大震災の被害を目の当りにした長谷川櫂さんが、短歌を詠み、歌集をお出しになったことに通じると思います。
微妙な違いですが、この違いを味わいたいものです。颱風一過という思いは、野分には無いかも知れません。どちらでもよい、というのでは、あまりにも無神経すぎます。ホトトギス新歳時記では、台風ではなく颱風が季題となっていますので、ご注意下さい。
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