今日は姫路へ行って来ました。来年の4月から姫路の神戸新聞カルチャーセンター(KCC)の俳句講座を担当することになりましたので、現在の担当の方との打ち合わせと、カルチャーセンターの担当者への挨拶とを済ませてきました。「田鶴」の主宰は月2回行っておられるそうですが、私は当面月1回、第4土曜日の午前中です。播水先生がお元気なころは、毎月滋賀県長浜市の鐘紡の工場へ、神戸から句会の指導に行っておられましたので、私も頑張らねばと思っています。
さて、今月号の日本伝統俳句協会の機関誌「花鳥諷詠」の「花鳥諷詠選集」に私の選が載りました。応募総数1400句、この中から特選5句と入選60句を選びました。通覧しながら選をして行くのですが、何度見直しても減らないのです。それほど優れた句が全国から寄せられたという事です。4日掛かりでようやく65句になりました。
その中で九年母の方の句が5句あり、内3句が野鳥俳句会の会員の句でした。無記名の1400句の中から偶然3名の方の句を選んだのです。九年母とホトトギス、双方の俳句理念が融合している句だったから、思わず採ってしまったのでしょう。
草笛を口が覚えてをりにけり ひとみ
支へ合ふ峡の生活や麦の秋 みか子
折節に妣の言の葉額の花 成子
どの句も余情の深い、花鳥諷詠詩です。何よりも季題の働きが良い。
子供のころ吹いたことのある草笛。ふと草を手に取って吹いてみたら、鳴ったのです。その瞬間、作者の心に幼い頃の思い出が蘇って来ました。場所や情景を捨ててしまって、草笛を口が覚えていた、そのことだけを詠んだところが巧みです。
麦の秋は夏5月の季題。山里は一面の麦畑。水田耕作の出来ないような山里、焼畑の昔から麦と芋を作って来ました。支え合わないと成り立たない山里の生活を、読者は同情の思いを持って想像するのです。
妣とは亡くなったお母さんのことで、ははと読みます。日陰に咲く控えめなこの花のイメージが、亡くなったお母さんの思い出と重なるのです。優しい中にもしっかとした考えを持っておられたお母さん。その教えが、今になって分かるようになって来たのです。
どなたが推薦して下さったのか分かりませんが、良い経験をさせて頂きました。NHKの俳句王国出演を機に世間が広がりましたように、今回もどんな展開になるか楽しみです。「花鳥諷詠」が必要な方はご連絡下さい。また、伝統俳句協会に入会ご希望の方もご一報下さい。
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