上の句から下の句にかけて、散文のように説明しているだけの句を、俗に一条書きの句と言っています。つまり、要点だけを箇条書きにしたような句の事です。例えば、先日の句会に出された句。
手洗に秋草活ける小料理屋
手洗に秋の草を活けている小料理屋であります。以上、報告終わり。まるで、偵察から帰って来た、昔の兵隊さんの報告の様です。俳句ではなく、短歌の上の句のようです。
手洗に秋草活ける小料理屋 雲のいづこに月やどるらむ
俳句になるためには、下の七七の部分を切り捨てなければなりません。その為に欠かせないものが「切れ」。この句の場合、「活ける」を「活けて」として、軽く切ってみましょう。
手洗に秋草活けて小料理屋
あるいは、中七の前後を入れ替えて、
手洗に活ける秋草小料理屋
としても切れます。後は、歴史的仮名遣いに従って、「活ける」を「活くる」と直して完成です。
手洗に活くる秋草小料理屋
これで散文から韻文、つまり説明・報告の文章から俳句という詩の形に変わりました。
もう一つ、この句はどうでしょう。
そこここに秋草活けてもてなさる
この句も、切れがないので、短歌の上の句です。
そこここに秋草活けてもてなさる 我が身一つの秋にはあらねど
これを、もてなしは、と詠い出してみましょう。
もてなしはそこここに活く秋の草
言葉の並べ方を替えるだけで、説明調が消えて俳句らしくなります。
かまどには女の歴史秋桜 伸一路
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