2014年9月18日木曜日

帰燕という季題

先日の句会で、燕帰る、という季題が出ました。実に様々な帰燕の様子が描かれましたが、そのほとんどが的外れでした。季題に対する研究が足りない、というのが実感です。当てずっぽうで季題を解釈してしまった結果でしょう。

      稜線を廻りて燕帰りゆく
      ハーブ摘む乙女に帰燕高きかな
      行く雲に姿の隠る帰燕かな

残念ながら、これらの句は「鳥帰る」の季題でも詠めます。季が動く、つまり季題が安定していないという事です。

      秋燕や鳴き声高き子ら数多
      列組んで高く小さく燕いぬ

これらの句は、「雁渡る」でしょう。

      大橋の主塔を掠め燕去ぬ

この句は「鷹渡る」でも詠めます。

燕帰る、という季題を詠もうとすれば、先ず燕の生態を知らなければなりません。東南アジア方面から春に日本に飛来し、2〜3回の子育てを経て巣を離れ、その後は青田や草原の上空で、蚊や蜻蛉などを採って暮らします。秋が近づくと大群をなして大きな河川の河口部に集結し、8月の下旬の夕方、一斉に飛び立って南の国を目指します。関西では、淀川や加古川の河口に集結する大群が有名です。

ある時、実家の滋賀県の湖東地方から、国道8号線を大阪方面に向かって走っていました。ふとフロントガラスから夕空を仰ぎますと、無数の燕が琵琶湖の上空を淀川の河口に向かって静かに流れて行きました。薄暗くなった夕空に黒い胡麻を撒いたようなその光景に、思わず鳥肌が立ったのを覚えています。

     夕空を暗め群れ飛ぶ帰燕かな

写生句ならば、ここまで詠んでほしい。さらに帰燕という季題の本意を詠み込むと、

     帰燕の巣残せるままに店閉ざす

何も知らずに帰って行った燕。来春、東南アジアから苦難の長旅を終えて戻って来た時、何を思うでしょう。哀れさが滲み出ている句です。帰燕とは、物の哀れを感じる季題です。

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