2014年9月9日火曜日

助詞の「が」

 昨晩は中秋の名月。月が地球に接近するスーパームーンという現象もあってか、眩しいくらいの月光を放っていました。淡路島の岩屋や西宮の戎神社では、観月の句会が催された由。素晴らしい句が詠めたことでしょう。今夜は十六夜。俳人として、昨夜とは違う月を見上げてみましょう。

ところで、播水先生の著『句作春秋』に、次の文章があります。

 「選句の披講が終わったあと年尾氏の選句に対する批評があったが、その中の次のことが耳に残った。『今日採った句には粽の句が多かった。よく出た句の一つに、
    粽結ふことが自慢の母なりし
という句があったが、「が」は句を卑俗にする。嘗て岩木つつじさんは「てにをは」は大切だ。「が」があると句が卑しく聞えると、「が」に対して強く言われた事を覚えている。
    粽結ふことを自慢の母なりし
とすれば一歩すすんだおもむきがある。』という一節であった。
 俳句に於いて「てにをは」は十分注意すべきであって、それによって句が生もし又死にもすることがよくある。「が」はたしかに句品を下げることは私も何時も思っていたところで、此の話には全く同感であった。」

 先日の句会で次のような句が有りました。

    町中が心一つに風の盆
    長雨の一日が過ぎて虫時雨
    
「が」ではないのですが、このような句も。

    静けさの中で波うつ虫の声

確かに「てにをは」は難しい。しかし美しい日本語を使うためには、この助詞の使い方を習得しなければなりません。年尾先生も播水先生も「が」という助詞を使うと句品が下がると仰っています。上記の句は、

    町中の心一つに風の盆
    長雨の一日の過ぎて虫時雨
    静けさの中や波うつ虫の声

としたらどうでしょう。句品が上がりましたね。これも訓練です。訓練が足りないと「が」や「で」が出て来ます。

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