昨晩は中秋の名月。月が地球に接近するスーパームーンという現象もあってか、眩しいくらいの月光を放っていました。淡路島の岩屋や西宮の戎神社では、観月の句会が催された由。素晴らしい句が詠めたことでしょう。今夜は十六夜。俳人として、昨夜とは違う月を見上げてみましょう。
ところで、播水先生の著『句作春秋』に、次の文章があります。
「選句の披講が終わったあと年尾氏の選句に対する批評があったが、その中の次のことが耳に残った。『今日採った句には粽の句が多かった。よく出た句の一つに、
粽結ふことが自慢の母なりし
という句があったが、「が」は句を卑俗にする。嘗て岩木つつじさんは「てにをは」は大切だ。「が」があると句が卑しく聞えると、「が」に対して強く言われた事を覚えている。
粽結ふことを自慢の母なりし
とすれば一歩すすんだおもむきがある。』という一節であった。
俳句に於いて「てにをは」は十分注意すべきであって、それによって句が生もし又死にもすることがよくある。「が」はたしかに句品を下げることは私も何時も思っていたところで、此の話には全く同感であった。」
先日の句会で次のような句が有りました。
町中が心一つに風の盆
長雨の一日が過ぎて虫時雨
「が」ではないのですが、このような句も。
静けさの中で波うつ虫の声
確かに「てにをは」は難しい。しかし美しい日本語を使うためには、この助詞の使い方を習得しなければなりません。年尾先生も播水先生も「が」という助詞を使うと句品が下がると仰っています。上記の句は、
町中の心一つに風の盆
長雨の一日の過ぎて虫時雨
静けさの中や波うつ虫の声
としたらどうでしょう。句品が上がりましたね。これも訓練です。訓練が足りないと「が」や「で」が出て来ます。
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