早いものでもう10月。4日には*7歳になります。我が家では、子供たちが小さい時から、誕生日には必ず贈物をするのが慣わしです。本人の希望を予め聞いておいて、後は予算と相談しながら、自分のイメージで品物を決めています。今日は私への贈物を買いにゆく家内の運転手をさせられました。さて、どんな物になりましたやら。
パソコンのメールでも、誕生祝のメッセージが届きます。歯医者さんやお風呂屋(スパ)さん、メガネ屋や洋服屋さんからも来ています。勿論、楽天やリクルート、アマゾンさんも。有難い事です。
さて、本日到着しました「花鳥諷詠」10月号、花鳥諷詠選集・汀子選の特選巻頭に、我らが金沢の征一さんが入選されました。ご本人の了解は頂いていませんが、おめでたい事ですから、引用させて頂きます。
死ねばまた泣かねばならぬ金魚飼ふ 征一
父がランチュウを飼育していた影響で、私も金魚を飼っています。コメットという種類の金魚2匹で、もう3代目。せっせと水の管理をして世話をしています。留守をする時は自動給餌器という便利なものが、決められた時刻に餌をやってくれます。今では大きくなりすぎて、ちょっと見には錦鯉にみえるほど。顔が見えただけで寄って来ますので、可愛がっています。
この子達の両親は、お腹が脹れて上下逆さまになってしまい、衰弱して死にました。寄生虫などには気を付けているのですが、病気にはお手上げでした。それまでにも、小鳥や魚の臨終には、嫌という程立ち会って来ました。そして、止せばよいのに、また同じものを飼ってしまうのです。
末の弟が犬が好きで、大きなゴールデン・レトリバー犬を2頭飼っています。死んで弔いを済ませると、いつの間にかまた同じ種類の犬が補充されています。義妹もポメラニアンとチワワを飼っていますが、同じです。
征一さんの御句は、多分お孫さんの事でしょう。自分が可愛がっている生き物の死に立ち会わせることは、核家族化の進む現代の家庭において、大変重要なこと。子供ながらに、命とは何か、死とは何かという事を真剣に考えると思います。まさに、十七音の法話です。
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