昨日は九年母の本部吟行で、明日香の里を巡って来ました。58名の参加が有り、素晴らしい秋晴れの下、稲渕の棚田の稲刈りを見ました。狭い棚田を手刈りで刈っておられましたが、ザクザクという鎌の音に、遠い昔を思い出しました。
あの頃は、稲を刈る田の脇を歩くと、イナゴが飛び交っていました。捕まえたイナゴを、ハトロン紙の紙袋に入れて持って帰りましたが、袋の中でイナゴがポンポン跳ねます。その手の感触が蘇って来ます。ハトロン紙ってご存じですか?買い物に行くと、品物を入れてくれた紙袋で、今で言うとレジ袋のようなものです。楽しい秋の1日でした。
ところで、先日の吟行で神戸大学の構内を巡りました。校庭の一角に、阪神淡路大震災で亡くなった神大生の慰霊碑が建っていました。その後の句会で、瓜二つの句が出されました。
身に入むや地震に逝きたる学徒の碑
身に入むや地震に斃れし学徒の碑
どちらも良く纏まった句ですので、入選に頂きました。同じ吟行でほとんど同じ内容の句が出来ることは良くあります。同じものを見て感動を覚えると、脳が機械的に動いてしまう結果、類想句が生まれやすいのです。こういった句は、そう考えなくてもすらっと出来るものです。すらっと出来る句は恐ろしい、とはこのことです。
それはさておき、この二つの句に共通するのは、地震で亡くなった学生さんの死を悼む気持ちを、「身に入む」という季題を使って表現していることです。悪くはないのですが、私には表現が強すぎる様に思えます。自分の思いをストレートに出し過ぎているのです。読者が鑑賞する部分、味わう部分が残らないほど、悲しみが強く伝わり、救いが無くなります。何か、打ちのめされたような気持ちになるのです。
悲しさを表現する季題として、①冷まじ(すさまじ) ②身に入む ③露けし、などが有りますが、それぞれに悲しさの程度、度合いが違います。自分の感情をストレートに出すのではなく、少し抑え気味に詠んでみて下さい。その方が、悲しみが内向して、読者の心にはより強く響くはずです。
同じ東アジアの国でも、我が国と韓国とでは悲しさの表現が違います。韓国の人は大声で泣くなど、ストレートに悲しさを表現しますが、日本人は耐ることによって悲しさを表現します。俳句でも抑制の効いた表現の方が悲しさが強く伝わるのです。
露けしや地震に逝きたる学徒の碑
この程度に留めたらどうでしょう。余情を残すことが大切です。
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