前回お話ししました『猿蓑』巻之一に凡兆の次の句が収録されています。
下京や雪つむ上の夜の雨 凡兆
この句については、向井去来の著『去来抄』に一文が書かれています。曰く、「この句初めに冠なし。先師をはじめいろいろと置きはべりて、この冠に極めたまふ。凡兆あとこたへて、いまだ落ちつかず。先師いはく、兆汝手柄にてこの冠を置くべし。もしまされる物あらば、われふたたび俳諧をいふべからずとなり(以下略)」と。
この句、雪つむ上の夜の雨とはすらっと出来たのですが、上五がなかなか出来なかった。そこで、先師(芭蕉)をはじめ主だったお弟子さんたちがいろいろ考えました。その結果、先師が「凡兆よ、この句はお前の手柄として、上五は下京や、と置きなさい。もし今後これ以上の上五が見つかったならば、私は二度と皆に俳諧のことについては語らない」と言われた。これに対して凡兆は「あっ、そうか」と答えたが、どうもしっくりしないようだった。要約するとこんなところでしょう。
当時の凡兆は、今で言う客観写生に重きを置いていましたので、師匠の情緒的な読み方に納得できないものがあったのでしょう。芭蕉は場所の設定が必要と考えて、下京という京都の下町の風景にしたのでしょうが、凡兆の心の中には他の風景が有ったのかもしれません。それを師匠が「絶対これだ、これ以外には無い。もしあったら、私は俳句をやめる」とまで言ってしまえば、弟子としてはこれに従うしかないでしょう。現に、『猿蓑』にはこの「下京や」で入集しているのです。
この文章の続きで去来は、師匠のこの作句態度に批判を加えています。自信満々の芭蕉の態度に行き過ぎは無かったか、と。汝の手柄、つまりお前が考えたことにして下京にしておけ、という指導は行き過ぎと言われても仕方がないでしょう。
俳聖と称えられる芭蕉にしてもこのような面があったのです。反面教師という言葉が有りますが、私自身も自戒せねばと思います。
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