先日の講座で、枯葉という兼題が出ました。よく似た季題に落葉というのが有ります。さてどう使い分けたら良いでしょう。両方の兼題の用例を調べてみました。
播水先生の句集「老鶯」「秋燕」「石蕗の花」それに「播水遺句集」を調べましたが、枯葉を詠んだ句が全く有りません。東京四季出版の「歳華悠悠」という本に、先生の句が300句掲載されていますが、これにも有りません。これに対して落葉の方は、「老鶯」に2句、「秋燕」に10句、「播水遺句集」に至っては18句も収録されています。
日本伝統俳句協会発行の「汀子句評歳時記」には、落葉の句が19句収録されていますが、枯葉の句は見当たりません。講談社版「日本大歳時記」の例句の数を見てみますと、落葉が56句であるのに対し、枯葉の句は僅かに13句。この差はどこから来るのでしょう。
先述の「日本大歳時記」の、枯葉の季題に付されている飯田竜太の解説に、その理由が隠されているように思います。曰く「草木いずれを問わず、あるいはまた、梢上と地上との別なく、冬に入って葉の枯れたさまをいう。雑木でも楢や欅などはいさぎよく散るが、柏など、霜に打たれてすっかり枯れ色となっても、未練たらしくいつまでも梢についている。風が吹くと、貧乏くさい音を出す。また、朴の大きな枯葉は、なにやらいわくあり気な感じがする。」 どうも、枯葉については、あまり良い評価が与えられていない感じがします。何だか、しょぼくれた季題です。
そんなことも有ってか、枯葉には傍題が有りませんが、落葉には「落葉籠」「落葉焚」「落葉掻」「柿落葉」「朴落葉」など、豊富な傍題が有ります。どちらの季題にも、芭蕉や去来の例句が上げられていますので、古くから使われているのですが、どうも私たち日本人は落葉に魅力を感じるようです。童謡に出て来るのも「落葉焚き」。枯葉焚きとは言いませんね。枯葉は、ひからびていてあまり質感が感じられませんが、落葉にはぽってりとした質感、重量感があるように思います。
夕照にひらつく磯のかれ葉かな 去来
しがみ付く岸の根笹の枯葉かな 惟然
この枯葉の情景と、次の句の落葉の情景を比べてみて下さい。
落葉して腸(はらわた)寒し猿の声 北枝
吹きたまる落葉や町の行き止り 子規
これらの句や、先程の飯田竜太の解説からすると、枯葉と落葉には、季題としての格の違いがあるようで、枯葉の用例の少なさは、ここに原因があるのかも知れません。シャンソンを聞きながら眺めるとすれば、勿論枯葉ですが。
朝々の落葉たのしみ掃く老医 播水
又別の落葉掻く音聞え来し 〃
0 件のコメント:
コメントを投稿