先日アップしました「下京や」という一文に、沢山の方のアクセスを頂き、喜んでいます。「猿蓑」という句集は、俳句を勉強するための古典として最適だと思います。年尾先生も、芦屋のご自宅で「猿者」の輪読会をなさっておられました。中々手に入りにくいとは思いますが、芭蕉に関する受験参考書などにも載っていますので、探してみて下さい。私は、岩波書店の「新 古典文学大系」の「芭蕉七部集」を使っています。図書館にあると思いますので、一句一句書き写しながら、勉強されると良いでしょう。
今回は去来の「去来抄」から、其角の句に対する芭蕉の対応についてお話ししましょう。其角は、ご存じのように芭蕉の一番弟子と称される高弟です。
此の木戸や錠のさされて冬の月 其角
「猿蓑の撰の時、此句を書送おくり、下を冬の月・霜の月と置き煩いはべるよしきこゆ。然るに、初は文字つまりて柴戸(しばのと)と読めり。先師(=芭蕉)、角が冬・霜に煩ふべき句にもあらずとて、冬月と入集せり。其後大津より先師の文に、柴戸にあらず、此木戸也。かかる秀逸は一句も大切なれば、たとへ出板(=出版)に及ぶとも、いそぎ改むべしと也。凡兆曰、柴戸・此木戸させる勝劣なし。去来曰、此月を柴の戸に寄せて見侍れば、尋常の景色也。是を城門にうつして見侍れば、其風情あはれに物すごくいふばかりなし。角が冬・霜に煩ひけるもことわり也。」
猿蓑は凡兆と去来が京都で編集・出版した句集ですが、江戸の大先輩の其角から出句が送られてきました。そこには、掲題の句の下五を、冬の月にするか、霜の月にするか迷っている、と書いてありました。ところが芭蕉は、此木戸という字が詰まって「柴戸」に見えたので、柴の戸だったら冬の月で良いではないか、其角らしくもない、何を迷っているのだと言って、冬の月として句集に入れてしまったのです。しかしその後、大津の芭蕉から手紙が編集部に届き、この句は「此の木戸」であり、秀逸の句だから版を直す様にとの指示が有りました。凡兆は、どちらも大して変わらないのに、との意見でしたが、去来はこう言いました。柴の戸に寄って冬の月を見ても大したことは無いが、お城の木戸に寄って見る冬の月には、何とも言えない風情がある。なるほど其角先輩が悩まれたのも当然のことだ、と。
原稿の訂正は、何とか出版には間に合ったとの事ですが、冬の月という季題に対する4人の当事者の考えが良く分かります。上梓間際であったにも関わらず、すぐ訂正させた芭蕉の指示も的確ですし、去来の意見も良く分かります。俳句への取り組みの真剣さが伝わって来るエピソードです。
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