2015年2月20日金曜日

猫の恋

猫の恋という季題が有ります。春2月の題で、ホトトギス新歳時記には「早春、猫がさかるのをいう」と有ります。未だ寒い春の宵に、それは始まります。オスもメスも、狂ったような鳴き声で、恋の相手を求めるのです。1匹のメスを巡って数匹のオスが争い、時には怪我を負う事も有ります。日頃おとなしい猫が、猫変ならぬ豹変した姿。まだまだ子猫だと思っていたのが、急に野性を丸出しにして、夜の闇に消えてゆく。猫愛好家にとっては、ある意味では感動でしょうが、愛犬家にとっては単に鬱陶しいだけの事。狂ったように鳴く猫を、犬は冷静に、しかも馬鹿にしたような目で見ているらしい、とは愛犬家の言。鳥交るという季題は有りますが、犬交る、とか犬の恋という題は有りませんね。

いつごろから猫の恋という季題が使われ出したのでしょう。平安時代の和歌全盛の時期には、こんな卑俗な言葉は歌人の興味を引かなかったのでしょう、猫の恋を詠んだ和歌は見たことが有りません。ところが、俳句の前身の俳諧の時代になると、盛んに詠まれ出します。この季題の持つ滑稽さ、ユーモラスさが、俳諧の性格と一致したのでしょう。

     麦飯にやつるる恋か猫の妻         芭蕉

     巡礼の宿とる軒や猫の恋           蕪村

     なのはなにまぶれて来たり猫の恋     一茶 

先日の講座でこんな句が出されました。

     たまといふ猫の駅長恋知らず

和歌山電鉄貴志駅の有名なタマ駅長を詠んだ句です。現代の社会事象を巧みに捉えて、ユーモラスに描いています。タマは定年の無い終身駅長で、年俸はキャットフード1年分だそうです。このあたりもユーモアが有って俳句になりそうですね。

この季題は、恋猫の姿をリアルに描写するよりも、ユーモラスに描く方が成功するようです。春宵の恋猫の声は、仏道修行の妨げになるかな、と思って詠んでみました。

      恋猫を叱る声して庫裡の夜       伸一路

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