2015年4月21日火曜日

木瓜の花

ある句会で「木瓜の花」(ぼけのはな)という季題が出された。この時季、公園を散策していると、真っ赤な花の咲いた低木を目にする。枝にさわってみると鋭い棘が無数にある。

      仏花にはならず刺あり木瓜の花

確かにその通りだが、木瓜の花の説明になっていないだろうか。

      庭に出るたびに触れもし木瓜の花

何のためにその都度触れるのか、刺が有るのに。

      花に倦む眼に庭の緋き木瓜

花とは桜。桜の花に倦むことも有るかも知れないが、花ではなく書としてはどうだろう。

      書に倦みし眼に赤き木瓜の花

とすれば、読書に疲れた目を休めた木瓜の花が描ける。

      庭明り妣の形見の木瓜の花

妣は亡くなった母の事。形見は亡くなった方の遺品。妣と形見は付き過ぎである。

      庭明り母の形見の木瓜の花

これでも母が故人である事が分かる。

      やわらかき光束ねて木瓜咲けり

完成度の高い句だが、「やわらかき」は「やはらかき」の誤記。惜しい句だ。

     白木瓜や老ひの約束あやふやに

木瓜と呆けとを掛け、老いに結び付けたか。俳句は詩。理屈ではない。

木瓜の花は、地味な、どこにでもある、特別に目出度くも無ければ忌むべきものでもない、平凡な、花である。以下の特選句から、木瓜の花という季題の本意を探ってほしい。

     木瓜の花ひそひそ話聞いてをり
     賜りし小さき幸せ木瓜の花
     人生の今が幸せ木瓜の花
     更紗木瓜未だ抜けざる国訛
     伸子張る母の裏庭木瓜の花  

伸子(しんし)とは、着物を洗い張りする際に、皺にならないように伸ばす竹製の長い針のこと。
 
     愛称で今も呼ぶ仲木瓜の花   伸一路
     

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