ある句会で「木瓜の花」(ぼけのはな)という季題が出された。この時季、公園を散策していると、真っ赤な花の咲いた低木を目にする。枝にさわってみると鋭い棘が無数にある。
仏花にはならず刺あり木瓜の花
確かにその通りだが、木瓜の花の説明になっていないだろうか。
庭に出るたびに触れもし木瓜の花
何のためにその都度触れるのか、刺が有るのに。
花に倦む眼に庭の緋き木瓜
花とは桜。桜の花に倦むことも有るかも知れないが、花ではなく書としてはどうだろう。
書に倦みし眼に赤き木瓜の花
とすれば、読書に疲れた目を休めた木瓜の花が描ける。
庭明り妣の形見の木瓜の花
妣は亡くなった母の事。形見は亡くなった方の遺品。妣と形見は付き過ぎである。
庭明り母の形見の木瓜の花
これでも母が故人である事が分かる。
やわらかき光束ねて木瓜咲けり
完成度の高い句だが、「やわらかき」は「やはらかき」の誤記。惜しい句だ。
白木瓜や老ひの約束あやふやに
木瓜と呆けとを掛け、老いに結び付けたか。俳句は詩。理屈ではない。
木瓜の花は、地味な、どこにでもある、特別に目出度くも無ければ忌むべきものでもない、平凡な、花である。以下の特選句から、木瓜の花という季題の本意を探ってほしい。
木瓜の花ひそひそ話聞いてをり
賜りし小さき幸せ木瓜の花
人生の今が幸せ木瓜の花
更紗木瓜未だ抜けざる国訛
伸子張る母の裏庭木瓜の花
伸子(しんし)とは、着物を洗い張りする際に、皺にならないように伸ばす竹製の長い針のこと。
愛称で今も呼ぶ仲木瓜の花 伸一路
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