地球最後の日、他の惑星に移住するためのロケットが発射されると仮定しよう。携帯品として1冊の本が許されている。読者諸氏なら、どんな本をお持ちになるだろう。クリスチャンの方なら聖書を、とお答えになるかも知れない。仏教徒の方なら般若心経などの仏典かも知れない。イスラム教徒の方はコーランとお答えになると思う。
さて私達俳句教徒は、何を持ってゆくべきか。人様々だろうが、私なら、迷わずに歳時記、それもホトトギス新歳時記を持って行く。もし、機内に多少の余裕が出来たので、2冊まで持って行っても良い、というお触れが出たらどうだろう。賢明なる読者諸氏は何を持って行かれるか。私なら、これも迷わず虚子の句集を選ぶ。
昭和59年11月に、朝日新聞社が発行した「現代俳句の世界1 虚子句集」という文庫本がある。これには句集「五百句」から始まって句集「七百五十句」まで、約3500の虚子の句が収めてある。これを持って行って宇宙の旅のつれずれに読めば、何年掛かろうと飽きることはないと思う。
句集「五百句」はホトトギス500号を記念して編まれた句集であるが、虚子の名句がちりばめられており、通覧しただけで次の句が拾える。
遠山に日の当たりたる枯野かな
春風や闘志いだきて丘に立つ
咲き満ちてこぼるヽ花もなかりけり
美しき人や蚕飼の玉襷
送火や母が心に幾仏
はなびらの垂れて静かや花菖蒲
泥落ちてとけつゝ沈む芹の水
桐一葉日当たりながら落ちにけり
白牡丹といふといへども紅ほのか
流れゆく大根の葉の早さかな
石ころも露けきものの一つかな
大試験山の如くに控へたり
道のべに阿波の遍路の墓あはれ
大空に羽子の白妙とゞまれり
およそ俳句を志す程の人であれば、伝統派であれ現代派であれ、初学の頃に暗唱した句ばかりである。
句集「六百句」には、
人々は皆芝に腰たんぽゝ黄
たんぽゝの黄が目に残り障子に黄
又例の寄せ鍋にてもいたすべし
寒鯉の一擲したる力かな
土塊を一つ動かし物芽出づ
犬ふぐり星のまたゝく如くなり
等の人口に膾炙した句があり、その他の句集も、読んで飽きることはない。虚子を批判する人は、いつの時代にもいるが、虚子の偉業を越えた人はいない。 批判するならば、虚子を越える業績を挙げるべきである、と私は思う。
旗のごとなびく冬日をふと見たり
時をして巨人としたり歩み去る
爛々と昼の星見え菌生え
明易や花鳥諷詠南無阿弥陀
虚子の句には、この他にも難解な句が沢山ある。読者諸氏も、解釈を試みて欲しい。
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