2015年5月4日月曜日

極楽の風

先日の下萌句会で「更衣」という兼題が出された。5月は衣替えの季節。衣替えをした直後の爽快さには、強烈な季節感がある。昨日までとは違った肌触りの衣服には、新しい風が吹きぬける。

その下萌句会では、ホームランこそ出なかったが、5打席5安打の好成績だった。その一つに

      極楽の風吹く如し更衣      伸一路

という句があった。衣替えをした直後の、何とも言えない爽やかな、軽やかな気持ち良さを、極楽の風が吹き込んだようだと詠んでみた。ところで、本日の朝日俳壇で、雅一さんの、

     春眠といふ極楽の一丁目     雅一

という句が汀子選の巻頭に選ばれた。全くの偶然であるが、どちらも極楽の句である。そこで気が付くのが、虚子先生の「俳句は極楽の文学である」というお考えである。

     脱落し去り脱落し去り明の春   虚子

自我を全て脱落し去って、悟りの境地に到達された虚子先生が説かれた俳句観が「極楽の文学」だった。花鳥諷詠を突き詰めて極めると、極楽世界に到達する、というのである。南無阿弥陀仏と専修念仏することによって極楽に往生できると説く宗教観と同じことであろうか。

私は、衣替えすることによって極楽の風を観じ、雅一さんは、春眠の心地よさを極楽の一丁目と観じられた。極楽とは大げさな表現だという人も有ろうが、虚子先生晩年の俳句観も参考にして頂きたい。

会が始まる前に汀子先生から、「マロニエの花が満開だから見ていらっしゃい」と声を掛けて頂いた。2階の窓を開けてマロニエの花を見ていると、虻が寄って来た。そこで、

    虻寄せてマロニエの花今盛り        伸一路

という句を授かった。句会場には桐の花房が活けてあって、良い香りが漂っていた。そこで、

    壺(こ)に活けて花桐の香の句座となり  伸一路

という句を授かり、いずれも安打になった。この会で即吟で成功したのは初めてだ。会が終わって汀子先生に退出の挨拶をしたら、「忙しいでしょう。何か困ったことが有ったら、いつでもいらっしゃい」と励まして頂いた。

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