ところで、ホトトギス新歳時記のこの季題には「軽暖」という傍題がある。しかし、角川合本歳時記には「軽暖」は無い。講談社版日本大歳時記の夏の巻にも無い。広辞苑によれば、軽暖とは軽くてあたたかな衣服、とある。ホトトギス新歳時記の薄暑の例句12句の内、軽暖を詠んだ句は次の虚子の一句だけと影が薄く、広辞苑では別の意味。有ろうことか、虚子自身の編による「新歳時記」増補版にも、軽暖という季題は見当たらない。
軽暖の日かげよし且つ日向よし 虚子
軽暖やショーウインドに白きもの 伸一路
という句を詠んでみた。私の独断と偏見であるが、薄暑という季題には、軽い鬱陶しさを感じるが、軽暖という言葉には鬱陶しさが感じられない。暑という字の有無によるものかも知れないが、薄暑と軽暖とでは、湿度の高さに差があるように感じる。軽暖の湿度は薄暑より低いようだ。
しかし、この季節に湿度の低い暑さを季題として使えるかどうか。黒南風と白南風のように、その違いが出せるかどうか。例句の少なさは、この辺りの事情を物語っているのかも知れない。
謎を解く手掛かりが無いか、考えてみて頂きたい。
0 件のコメント:
コメントを投稿