2015年5月24日日曜日

軽暖という季題

先日の講座の兼題に薄暑が有った。初夏の、やや汗ばむ暑さを云うのである。いよいよ夏が来たという喜びである。木々は緑を深め、日差しも眩しくなり、天気予報では真夏日という言葉を聞くようになる。軽い運動でも、うっすら汗をかくようになるのが薄暑である。

ところで、ホトトギス新歳時記のこの季題には「軽暖」という傍題がある。しかし、角川合本歳時記には「軽暖」は無い。講談社版日本大歳時記の夏の巻にも無い。広辞苑によれば、軽暖とは軽くてあたたかな衣服、とある。ホトトギス新歳時記の薄暑の例句12句の内、軽暖を詠んだ句は次の虚子の一句だけと影が薄く、広辞苑では別の意味。有ろうことか、虚子自身の編による「新歳時記」増補版にも、軽暖という季題は見当たらない。

         軽暖の日かげよし且つ日向よし    虚子

もはや謎と云うしかない。ホトトギス新歳時記の謎の一つである。私も、

         軽暖やショーウインドに白きもの   伸一路

という句を詠んでみた。私の独断と偏見であるが、薄暑という季題には、軽い鬱陶しさを感じるが、軽暖という言葉には鬱陶しさが感じられない。暑という字の有無によるものかも知れないが、薄暑と軽暖とでは、湿度の高さに差があるように感じる。軽暖の湿度は薄暑より低いようだ。

しかし、この季節に湿度の低い暑さを季題として使えるかどうか。黒南風と白南風のように、その違いが出せるかどうか。例句の少なさは、この辺りの事情を物語っているのかも知れない。
謎を解く手掛かりが無いか、考えてみて頂きたい。      

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