2015年5月27日水曜日

孑孒という季題

孑孒と書いてぼうふらと読む。一般の人には読めなくても、俳句を志すほどの人ならば読んでほしい。蚊の幼虫のことで、孑は子の右手が無い様子で、孒は左手が無い様子、と漢和辞典にある。ぼうふらがくねくねしている様子を表した漢字である。それにしても中国人の発想は凄まじい。

ところで、蚊の幼虫は孵化して一週間で蛹になり、蛹は2・3日で羽化して成虫になる。幼虫は水中の有機物を捕食し、水面で呼吸する。このため水中を上下するのであるが、その独特の様子が面白いので、季題となっている。水中を浮沈する様子が棒を振るように見えるからぼうふらという、と日本大歳時記にあるが、どう見ても棒を振っているようには見えない。もっと別の意味があるのかも知れない。  
          
身近にある季題は、観念で作ると川柳調になり易い。孑孒もその一つで、浮き沈みしている様子を人生に例えて詠むと、いかにも陳腐な句になる。

          孑孒や我が人生の浮き沈み

観念で詠むからこうなるのであり、次の虚子の句のように、小さな水溜りに闊達に動く孑孒の様子をしっかり写生し、自分の思いを句の裏側に偲ばせることによって、自由への憧れを読者に連想させる句となる。戦時の厳しい統制下を連想すればどうだろう。

         我思ふまゝに孑孒うき沈み      虚子

先ず孑孒をしっかり写生することが重要で、そこから何かを感じたら、それを俳句に纏めてみる。蚊の幼虫だから、といった先入観を抜きにして見つめてみよう。孑孒が何かを語ってくれるまで。

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