2015年5月30日土曜日

筍という季題

ある句会で、筍という題が出された。筍は竹の子。ホトトギス新歳時記には「初夏、竹の地下茎から出る新芽のこと。とくに孟宗竹のは雄大で、いかにも筍というにふさわしく、味も佳い。」とある。初夏の味として、昔から愛されて来た食材である。しかし、食材の季題の通例として、いわゆるレシピ俳句に陥りやすい。調理の仕方から始まって、味付け、盛り付けなど、季題の美味しい食べ方を説明した句になり易い。句会の清記をみてみると、

            味香り食欲そそる筍煮
            久に訪ふ筍飯の炊ける音
            筍の旬は短し京の味
            シャキシャキとうまし筍時間かけ
            栄転を筍飯で祝ひけり
          
という句が有った。初夏という若々しい季節に、ぐんぐん伸びる竹の新芽。確かに若布などと一緒に炊くと美味しいが、それでは季題そのものを詠んだことになってしまう。筍の美味しい食べ方という、レシピの説明になってしまう。

食べる前に、先ず季題として捉える事が大切だ。筍が食材となって俎上に上る前に、地面の下でどんなことが起こっているのかということを考えてみよう。竹の地下茎から伸び始めた新芽が、成長しながら地面に向かって伸びてきて、やがて地面を割って地上に顔を出す。竹は成長が早く、一日で数センチも伸びるという。この若々しいエネルギー、生命力を詠まないで、何としよう。
      
           天へ伸ぶ夢を秘めをり真竹の子   伸一路
            
地下茎に宿る力強い成長力に着し、筍という季題の本意を活用して自分の想い(=詩)を詠う事が大切である。その為には、筍はこの様にして食べると美味しい、という固定観念から脱却することである。

    

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