先日のある句会で、壺に桐の花が活けてあった。桐の花の香りが部屋中に漂って、何とも雅な感じがした。これは何とか一句に纏めなければいけない。しかし、締切時刻は10分後に迫っていた。その瞬間、
花桐の明るく香る句座であり
花桐の香れる句座でありにけり
花桐の香れる句座に着きにけり
という句が閃いた。しかし、これでは句座の説明に過ぎない。ならば、句の推敲をしている場面で花桐が香って来たとしてみよう。
推敲の句座に香りて桐の花
しかしこれでは、開いた窓から桐の花の香りが漂ってくる感じだ。ここで初めて、桐の花は壺に活けてあることに気が付いた。壺(つぼ)に活けてでは字が余ってしまうので、壺は「こ」と詠めばよい。
壺に活けて花桐の香の句座に満つ
だいぶ良くなって来たが、壺に活けた花桐の香が句座に満ちている、では状況の説明に過ぎない。では、上五と下五を入れ替えてみたらどうだろう。
句座に満つ花桐の香や壺に活けて
良くなった。しかし、満ちるという事に拘りすぎているのではないか。壺に活けた桐の花が香っている、とだけ言えば良いのではないか。満ちているかどうかは、読者に任せても良いのではないか、と思い至った。その瞬間、
壺に活けて花桐の香の句座となり
という句が出来た。下五を「句座であり」とする方法もあるが、何となく句座の説明になりそうなので、上記の句で投句した。締切5分前だった。この切迫感が何とも楽しく、この快感が有るから俳句を止められないのかも知れない。締切時刻が近づくと、諦めて投げ出してしまう人がある。「もう諦めた」と投句してしまう。これでは、いつまで経っても上達はむつかしい。ギリギリまで粘って推敲して欲しい。結果的に、この形で汀子選に入った。
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