2015年6月18日木曜日

雑詠の選

毎日、数十枚の雑詠の投句が届く。会費の振込は月初に集中するが、雑詠の投句はまちまちだ。早い人になると配本の翌日には届く。当たり前かもしれないが、上級者ほど早く届く。逆に、遅い人は期限ぎりぎりに速達で届く。このような人は、句を練りに練って送って来られるのだろうが、びっくりするような良い句は少ない。少しでも前の方に、と思うのは人情だろうが、ぎりぎりに送って来られても、原則到着の順番に並ぶ事になる。少しでも早くお出しになる事である。

雑詠選なのだから予め作っておいて、翌月号が届いたらその日の内に書いて投函する。こうすれば、上級者の次くらいには顔を出すことが出来る。提出する句を、その月になって詠んでいるようでは、後塵を拝することになる。ホトトギス誌の「雑詠」や「天地有情」への投句は、本が届くのを待って、その日の内に投函している。ポストの投函時刻に間に合わなかったら本局へ車で走る。それでも、東京やその近郊の方とは1日のハンデがあるのだ。

「九年母」5月号に『雑詠の選について』という一文を掲載し、選の厳選化に対する事情説明をして理解を求めた。その一文に、私の選の基準を、併せて発表した。それは、次の通りである。

        ①詩情があるか
        ②季題が十分に働いているか
        ③表現が適切か
        ④文語の使用が正しいか

「NHK俳句」7月号に、稲畑汀子先生の随想『選句という大事』第4回が掲載されているが、先生はその中で、「俳句は短い詩である。季題を詠む詩である。言葉で表現していない余韻の中に、作者の本意を汲み取り、作者と同じ感動を味わうことができるのが名句なのだろう。」と述べられている。

作者と共に詩を共感し、善意を以て選に当たるのが私の務めであると思う。

         蚊に食はる貧しき者も富むものも     伸一路

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