2015年6月24日水曜日

苔の花

先日の句会で、苔の花という題が出された。夏の季題である。ホトトギス新歳時記には「苔は梅雨のころ、その緑を増し、淡い紫や白の胞子を入れた子嚢をあげる。これを俗に苔の花といっている。」とある。要するに、花ではなく胞子を入れる容器の事。びっしり敷き詰められた鮮やかな緑色の杉苔の中に、マッチの先のような胞子嚢を付けた軸が無数に伸びて来る。これが苔の花である。先端に蓋があり、成熟してこれが外れると、中から胞子が飛び出す仕組みになっている。

蕪村にも一茶にも苔の花の句があり、歴史の古い季題だ。

       蚤ひろふ猿の胡坐(あぐら)や苔の花    蓼太

ところでこの季題は、どう解釈すればよいのだろうか。苔が生える位だから、古くて地味だというイメージが感じられる。このイメージを活かして句を仕立てれば良いのであるが、単に古くて地味なだけではいけない。苔の花は胞子を育てる器であり、そこに命を感じることが大切だ。

       苔咲くや親に別れて二十年      鬼城

夏鳥の一つ大瑠璃は、巣をつくる時この杉苔の花の軸をちぎって集め、卵を抱く産座と呼ばれる敷物を作る。卵の保温の為だと言われているが、一本一本整然と並べてあるのを見て、親鳥の愛情に感動したことを思い出す。

       耳遠くなられし夫婦苔の花      伸一路

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