2015年7月20日月曜日

雑種の俳句

今日は、兵庫県俳句協会の夏期俳句大会が、神戸市中央区の楠公さんの近くにある神戸市水道局の研修会館で開催された。伝統俳句派、現代俳句派と中間派と、3派それぞれの結社から100名を超える方が参集された。我が九年母からも42名が参加、私も、名誉主宰とご一緒に、選者として参加した。今回の選者は9名、3派それぞれから、バランスよく選ばれた。

事前募集句、当日吟行句、各12名合計24名が受賞され、最高賞は兵庫県芸術文化協会賞。この受賞者の内、10名が九年母関係者、内6名が、私が直接選者を担当している五葉句会の会員であり、現会長、前会長も受賞され、事前募集句の最高賞も五葉句会の方であった。また、入賞された九年母関係者10名の内5名の方が九年母会の運営委員を務めておられることからも、入選のレベルの高さが分かると言うものだ。

この様な3会派合同の俳句会の役割とは何であろうか。通常私達伝統俳句派は、ホトトギスの全国大会や伝統俳句協会の全国大会、同支部の大会など、花鳥諷詠・客観写生派の俳人ばかりが集まって俳句を競っているが、どうしても同じような句ばかりを目にすることになる。ところが、会派横断的な大会に参加すると、清記に書かれた、普段目にすることが無いような句が目の前を通過してゆく。中々採ることは出来ないが、作句の幅を広げることには役立つと思う。

例えば、今日の大会で頂いた句に、

      炎昼の神鏡にある己が顔

という句など、伝統派では思いつかない句であるが、妙に魅力を感じる。お互いに優れた点は学び合うという、柔軟な発想が必要だと思う。伝統という狭い殻に閉じ籠ったり、温室栽培種のように、外気当たると萎れてしまう様では、軟弱な俳句に堕落してしまう。

一般的に言って雑種は生命力が強い。将来に向かって生き残って行く俳句とは、強い生命力をもつ雑種だと思う。1000号以上に続いている結社誌の中には、虚子門ではあるがホトトギスや伝統俳句協会と袂を分かったところがある。俳句の中道を歩むだけでは済まないのが今の時代である。土着の雑種を目指して、しぶとく生き残って行く結社で有りたいと思う。

      久闊を叙すやビールを傾けて     伸一路

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