2015年8月14日金曜日

掲載時期と句

文學の森社刊行の「俳句界」11月号に、拙句を21句載せて頂けることになり、先日投函した。当初私は、当季雑詠を21句並べれば良いものと気楽に考えていた。締切も迫った頃、再度原稿依頼を読み直して驚いた。そこには、掲載の季節に相応しい新作の句を21句、と書いてあり、ご丁寧にアンダーラインまで引いてあった。

顔が一瞬にして青ざめたのは言うまでもない。と言う事は11月の季題の句を揃えろという事だ。11月と言えば冬。残暑厳しき折柄、と挨拶状を書く毎日なのに、冬の句が詠める筈がない。イメージが湧いてこない。やむなく、昨年、一昨年の11月に詠んだ句を見なおすことにした。

句帳と出句控帳とを丹念に調べ、11月の気分に浸って行く。未完成のままの句が有れば、当時その句をどんな思いで詠み始めたのか探った。何か句の素になる原因が有ったはずだと。そうしているうちに、ふつふつと句が湧き始めた。当時のままの句も有れば、当時の句を推敲して出来た句も有った。

30ばかり出来たので、それぞれの句の季題を確認する作業に入った。11月号に掲載するわけだから、少なくとも秋の句ではおかしい。ホトトギス新歳時記で季題を調べ、11月の季題の句に絞り込んだ。1句だけ12月の句が最後にあるが、三冬に亘るとあるので、これは可とした。

一応21句が揃ったので、いつものように1週間棚ざらしにすることにした。句の発酵を促すための工程である。1週間たったので再度目を通し、違和感を感じる表現がないか、文法的な違反はないかなど、最後の点検を行った。どの句も、1週間前の状態と変わらず、気力が満ちていた。

先日の句会で、句誌の雑詠欄の当季とはいつの事か、掲載の月に合わすべきではないか、との質問が有った。九年母誌の雑詠欄ではそこまでは求めていない、と答えたが、掲載月に合わせて投句されている方が、少数ではあるがおられるのも事実である。

虚子先生は、作った句は1年間は温めよ、と教えられた。哲也名誉主宰も、年末までは保管して推敲せよ、それでも駄目な句は捨てよと、教えておられる。今回の21句では、良い勉強をさせて頂いた。

        思ひ出は若き日のまま墓参      伸一路

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