2015年8月21日金曜日

華やぐという言葉

雑詠の選をしていて、華やぐという言葉を使って詠んだ句がかなりあるのが気になった。講座でも度々お話ししているが、「華やぎて」とか「華やげる」などの言葉は、自分の気持ちを表現したつもりでも、中途半端なものとなる。例えば、次の句が有ったとしよう。

    木曽路行く車窓に華やぐ紅葉かな

一体、華やぐとはどんなことだろう。掲句は、楓の葉が鮮やかに紅葉している情景を詠んだつもりなのだろう。これを華やぐと表現して良いだろうか。華やぐという言葉を広辞苑で見てみると、「①はなやかになる。はなばなしくなる。はでになる。②時めき栄える。」とある。掲句は①の意味で使ったのだろうが、紅葉の形容としてこれで良いだろうか。

結論から言うと、この表現では紅葉の美しさは詠めていない。皮相という言葉には「真相を見極めず、表面のみをみて下す浅薄な判断」という意味があるが、まさにこれに当てはまるだろう。

    木曽路行く車窓に燃ゆる紅葉かな

華やぐという表現を燃ゆるとすることによって、中途半端さが無くなり、より真相に迫った表現となる。具体的にどうなのか、しっかり対象を見つめて詠む事が大切だ。中途半端な表現は避けたいものである。

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