2015年8月25日火曜日

日記の句

夏痩せという言葉が有るが、今年の私は夏太り。主宰を継承して5ヵ月。この間に2キロ太った。毎朝欠かさずラジオ体操をして、不摂生は避け、規則正しい食事をする、これだけで特別なことはしていない。私の命であって、私の命ではないのが主宰の立場。毎日良く歩き、良く働き、良く食べ、良く眠る。食べるものは何でも美味しい。かつて当たったことが有るドーナツとレバー以外は、何でも食べる。ここ2年、毎年12月に入院しているが、今年はこの勢いで無事乗り切れるかも、と期待している。

さて、先日雑詠の選をしていたら、この様な句が有った。

       涼やかな菓子の届きて安らぎぬ

       信号待ち青田風受け癒さるる

問題は「安らぎぬ」「癒さるる」という言葉である。今日こんなことが有った、という日記的な俳句である。子供の頃、夏休みの宿題として、毎日日記を書かされた。「○月○日晴れ  今日はお父さんと魚釣りに行きました。とっても楽しかった。」こんなことを書いたことが有るが、 掲句はいづれも、この日記と同じなのである。表現は難しいが中身は同じである。要するに日記なのだ。日記は、人様に見せるものではない。日記として詠んだ俳句は句帳にしまっておくべきで、句会や投稿など、人の目に触れるところには出さない方が良い。現代俳句系の俳人で、日記のような句を得々として発表している人がいるが、この様な人が大成したという話は寡聞にして聞いたことが無い。

掲句の最初の句は、届いた涼やかな菓子を見て作者の心が安らいだのであり、次の句は、信号待ちをしている際に吹いてきた青田風に作者の心が癒されたのである。どちらも作者の一人合点であり、読者にとってはどうでもよい事だ。どちらも「アラそうなの、良かったわね」で済んでしまう、およそ文芸としての俳句とはほど遠いものである。文芸とは、作者と読者とが感動を共有すること。作者と読者との心の交流といっても良い。

日記として残す句を発表してはいけない。人様に文芸として読んで頂くだけの価値が有るかどうかは、作者が良識を以て判断する事である。

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