2015年12月12日土曜日

関東支部訪問の記

千鳥吟行句会を終えた足で新幹線ひかりに乗車し、東京に向かいました。上野の田原町のホテルに入ったのは午後9時になっていました。和美さんと電話で翌日の句会について打ち合わせを済ませ、早めに休みました。
 
翌朝は、雨の音で目が覚めました。大雨洪水警報が出て、大変な天気になってしまいました。ホテルをチェックアウトして地下鉄銀座線上野駅不忍口で和美さんの出迎えを受け、吟行に同行される皆さんの待つ公園口に向かいました。文男さんや南さん達6名の方と合流、雨の中での挨拶を済ませ、上野公園へと入って行きました。傘の内側から雫が落ちる程の、土砂降りの吟行となりました。

上野公園を散策するのは50年振り。西洋美術館の前庭に有るロダンの「考える人」や「カレーの市民群」の銅像を見上げると、学生の頃の思い出が甦って来ました。国立博物館も昔の儘に鎮まっていました。強風と豪雨が、銀杏の巨木から情け容赦なく落葉を捥ぎ取って降らしていました。

          黄落の散り降り舞ひて舞ひ上がり       伸一路

不忍池のほとりまで来て弁天堂に参拝しました。すると不思議なことに、それまでの豪雨が嘘のように止み、青空が広がって来ました。水面を覆い尽くす枯蓮。隣の池には鴨が飛来して羽を休め、空には百合鴎(都鳥)が群れていました。

          東京の空の青さに百合鴎        伸一路

          今日一日何して遊ぼ鴨の群        〃

彰義隊の供養塚を拝しましたが、その暗い印象に驚きました。旧幕臣達がここ上野の山で新政府軍に抵抗しましたが、半日で壊滅させられました。その戦死者を荼毘に付した跡に供養の塚が築かれています。その暗さは、大阪城の淀殿の墓と同じものでした。敵対者への仕打ちでしょうか。

          零れ来し冬日の中に戦死の碑     伸一路

句会場のある東京文化会館のレストランで昼食を摂り、句会場へ入りました。館で合流した句会のみの方も含め、総勢10名の句会。この他欠席投句が1名、見学者が1名ありました。汀子邸で開かれている下萌句会のやり方に準じて、特選句の寸評なども取り入れ、楽しい句会となりました。

句会の後、席を精養軒に移し、お茶を飲みながら九年母会の現状や私の指導方針などを説明し、腹蔵の無い意見交換を行いました。関東支部を纏めて来られた有力な指導者が亡くなられた後、長い間、選者の直接指導を受けることなく過ごされて来た支部の皆さんに、新主宰としてお詫びを申し上げました。

関東支部は、東京に本拠を置く、九年母の看板支部です。それが長い間なおざりにされて来たのです。支部の掘り起こしは先ず関東支部から、そのつもりで訪問しました。来年正月の新年会には、関東支部からも参加されるとか。私の気持ちがどのくらい支部の皆さんに届いたか、今後の雑詠作品を通じて拝見して行きたいと思います。

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