2018年1月27日土曜日

初鴉はなぜ目出度いか

今月の15回の句会が全て終わりました。何とこの内13回の兼題が「正月一切」。今日の姫路支部月例句会が終わって、やっとこの兼題から解放されました。来年は兼題の出し方を、もう少し考えようと思います。

さて、正月一切と云うことで「初鴉」という季題を使った句が可成り有りました。そのほとんどが私の理解とは違っていました。新年を迎えて最初に見た鴉を詠んだ句が大半でした。一体なぜ、あの様な悪い鳥が目出度いか、そんなことを考えたことが有りますか。正月になって初めて見た鴉だから目出度い。それなら、初めて見た鳩だって目出度い筈。椋鳥だって、鳶だって目出度い筈なのに、なぜ、初鴉と初雀だけが正月の季題になっているのか。不思議だと思いませんか。

永年その理由を考え続けて来ましたが、ようやく分かりました。昨年12月下旬に、家内の友人が70歳で亡くなりました。夕餉が済んで元気に床に就かれたのですが、翌朝、家の人が起こしに行ったら、冷たくなっておられたのです。私達の命には、永遠という保証は有りません。遅かれ速かれ、この世を旅立つ運命にあります。ベッドに入って、翌朝目が覚めるという保証はないのです。

その様に思うと、元日の早朝、鴉が幾つか続けて鳴く、その声を聞いて、自分が無事目覚め、新年を迎えられた喜びを感じるのではないでしょうか。早朝の静寂の中で、鴉の声は良く透り、良く響きます。無事に目が覚めたことが目出たいのです。ですから初めて聞こえた鴉の声を目出度いものとして珍重し季題に定めた、これが私の解釈です。初雀は次回にしましょう。

     目覚め得しことの喜び初鴉    伸一路

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