2018年6月19日火曜日

お見舞い

 高槻市など大阪府北部で震度6弱、拙宅のある芦屋では震度5弱でした。可成り揺れましたが、お陰様で拙宅(発行所)も家族も無事でしたのでご放念下さい。読者の皆様のお宅はどうでしたか。お怪我は有りませんか。お見舞い申します。
 揺れが収まったので仕事に出掛けようとしました。九年母7月号の二回目の校正(二校)がある日だったのです。しかしJR・阪急・阪神の三つの電車が全て運休。止む無く自宅で運転再開を待ちながら、会員の安否確認を続けました。激震地では固定電話が通じず、何度もかけ直しをしましたが、電話がかかった範囲では、皆さんご無事でした。
 編集部の千恵子さんは、二校に向かう途中でJRの電車の中に閉じ込められ、2時間後に線路を歩いて最寄りの駅に向かい、帰宅されたとの事。その他の編集部の皆さんは、各自の最寄り駅で運転再開を待っておられました。しかし交通機関が回復したのは夜に入ってから。このため二校は、地震の前に日光印刷へ行かれた橙更編集長お一人がされました。
 23年ぶりの強い地震。私はてっきり南海トラフの地震かと思いました。食卓テーブルの下に身を潜めた瞬間、スマホやラジオの緊急地震情報が入り、大阪府北部が震源地だと分かりました。揺れを感じながら、これは震度5程度だなと思いました。阪神淡路大震災の時の震度7に比べると、まだ軽かったのです。大阪の方は阪神淡路の経験がありませんから、さぞかしびっくりされた事でしょう。
 阪神淡路の時は、時の大阪市長が「米と水があったら自活せよ。頼られては困る」と被災者を悲しませる暴言を吐いたことがありました。震災当日の夜、焼芋を一本3000円で売りに来た人がおりました。屋根に掛けるブルーシートを、法外な値で売りに来た人もおりました。しかし、全国の人が応援に来られるようになると、その様な人は来なくなりました。困っている人の足元を見るような行為は、人として情けない事ですね。今回の地震ではそんな人が来ないように願っています。
 復興には長い時間が掛かります。しかしそこは大阪、持ち前の明るさとバイタリティーであっと云う間に復興されるでしょう。しかしせっかく復興に取り組むのですから、南海トラフの地震を想定した事業にして頂きたいと願っています。
 被災された皆様の、一日も早い生活再建をお祈りします。
 

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