2018年12月19日水曜日

俳句と日記句

雑詠選の通信欄に、日記と俳句との違いを教えてほしいとの書き込みが有りました。
日記とは自分の想いを、他人に読まれることを想定せずに、思うがままに書くものです。
自分の信条や、日々の生活において思い浮かぶ想いを毎日書き連ねていきます。従って、その想いを五七五の句という形式で述べても良い訳です。あくまでも他人が読まない事を前提に句を詠みます。毎日心に思い浮かぶことを、例えそれが他人の批判であっても、恋心の句でも良いのです。何だって許されるのが、日記句です。

これに対して俳句は、他人が読む事を前提にしたものです。句会という他人と一堂に会する公の場で、清記という形式で不特定の多数の参会者に読まれて選を受け、大きな声で披講されます。自分の句が披講されたら、作者は名乗らなければなりません。つまり、一般公開される前提で、五七五の句を詠むのです。これが俳句というものです。

ところで、最近の句会で投じられた句を例として拝借しますと、

    換気扇はずして汚れとる師走
    検診に行かねばならぬ師走来る

何れの句も、個人的な事を詠んでいます。読者が、換気扇を取ってくれと頼んだわけでも、検診に行ってくれと頼んだわけでもありません。このような個人の計画のような句を一般公開されても、読者は困る訳です。どうぞお好きなように、どうぞご自由に、と思うだけです。このような句は、日記に記しておくべきで、句会の場で一般公開するものではないというのが、私の考えです。参考にして下さい。

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