今日届いたばかりの句稿の中から2句を使わせて頂きます。
春光や手をかざし見る砂丘かな
勘の良い方は、この句の問題点がピンと来たと思います。そう、「や・かな」ですね。
なぜ「や・かな」は避けるべし、と言われるのでしょう。どちらも、厳しく切れる切字です。和歌を「敷島の道」と呼ぶのに対し、俳句は「や・かなの道」と言われるくらいに、「や」・「かな」は切字中の切字、切字の代表格です。それ程有力な親分格の切字を一句の中に両方使いますと、親分同士が縄張りを主張し合って、句が纏まりません。
掲句で見てみますと「春光や」・「砂丘かな」と言う2人の親分のどちらが強いでしょう。
どちらも譲りません。となると、読者は、作者がどちらを詠みたいのか分かりません。
俳句の焦点は一つ、親分は一人にした方が、読者に与える感動が強くなります。
例)春光に手をかざし見る砂丘かな
桜草たづさへ友の訪ひくれし
ここの句の問題点は何でしょう。季題は「桜草」。その季題の花を持って、友達が来てくれたのです。よく考えて下さい。この句、季題が働いていますか。桜草でなくても、チューリップでもヒヤシンスでもシクラメンでも、フリージアでも、句になりませんか。
これらは4月の季題ですが、秋の花を持って友達が来たらどうしますか。女郎花・藤袴などと入れ替えてもできますね。このような句を「季が動く」とされ、避けるべきものとされています。このような句が出来たら、句帳に留めて、発表しない方が良いでしょう。
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