2020年5月9日土曜日

今日の二句  その39(ネット句会)

おとといの晩は満月でした。携帯電話の番号やメールアドレスが分かる方の中から30名程の方に、朧月を詠もうと呼びかけましたところ、14名の方から句が寄せられました。句会の形に纏めて、九年母誌の会報欄に載せようと思います。

もっと声を掛けたかったのですが、固定電話を届けて頂いている方が大半で、いちいち電話を掛ける訳にも行かず、連絡の取れる方だけにしました。今はSNSの時代です。個人と個人が直接、ラインやツイッターなどの通信網で繋がる時代です。固定電話もFaxなどで必要ですが、携帯電話の番号やメールアドレスも連絡して頂ければ、特に今回のコロナ自粛のような時には会員の絆を繋ぎやすいと思います。

固定電話でのこと、ある方に架電しましたらご主人が出られました。「九年母の発行所ですが奥様いらっしゃいますか?」とお話ししましたら「居ません」、「いつ頃お帰りか分かりませんか?」「知りません」そしてガチャン。それ以降、この方への固定電話での連絡は止めました。会費の振込みの際に携帯電話の番号やメールアドレスを書いて頂ければ、今回のような試みにも参加できますので。さて、今日の二句。

妖精の薄衣ひろげ春の空

春の空を、妖精が薄い衣を広げたようだと詠んだ詩的な句です。このままでも良いと思いますが、もう一歩踏み込んで、「ひろげ」の「げ」の音の使い方を考えてみましょう。私には「げ」の音が気になるので、「ぐ」の音に出来ないかと思いました。「げ」より「ぐ」に方が、音が優しく響きます。春の空は優しく詠みたいものです。そこで、
   妖精のひろぐ薄衣春の空
と詠んでみました。原句とどう違うでしょう。

登り来て小手を翳さん春の山

春の山に登って、小手を翳して遠くを望んだのでしょう。句の意味は明瞭ですから、このままでも良いのですが、私はどうしても「春の山」に引っ掛かってしまうのです。
小手を翳すのは春の山だけか?そう思うのです。もちろん春の山で小手を翳しても間違いではありません。霞んだ遠くの山を眺めることだって悪くないのです。しかし、小手はなぜ翳すのでしょう。太陽の光が強いからですね。ならば、一年中で一番太陽光線が強い時期はいつでしょう。春の山・夏の山・秋の山・冬の山、それぞれ当てはめてみて、自分が一番ぴったりする季節を考えて見て下さい。

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