関西では新規の感染者がかなり減って来ました。米国の、とある免疫研究センターの調査では、感染していない人の半分くらいが新型コロナウイルスに対する免疫抗体を持っているとの事。日本ではどうか分かりませんが、沖縄や奄美地方が梅雨に入り、本州・四国・九州も間も無く梅雨に入ります。湿度が高くなって来れば新型コロナウイルスがどうなるか、期待を持って注視していきたいと思っています。今回も、雑詠選に投じられた連用止めの句について考えましょう。
麦秋の自宅に鍬を置き忘れ
「置き忘れ」が、前回お話した連用止めと言われる止め方です。本来なら、「置き忘れたる」とするところを「置き忘れ」と止めてしまう。何となく中途半端な感じがしませんか。なぜでしょう。短歌を半分に切って放置してあるからです。短歌は、上の句が五・七・五、下の句が七・七。この下の句を付けずに放置してある状態です。本当ならば短歌になるべくして生まれて来たのに、作者が俳句にしようと思って放置してしまったのです。どちらかにしてやらないと、かわいそうですね。七・七が現れないように、切れを入れて、俳句にしてやりましょう。
例)麦秋や自宅に鍬を置き忘る
新緑のみなぎる力吸収し
この句も、短歌の前半分をちぎって放置したものです。
例)新緑のみなぎる力吸収し明日の暮しの糧とせむとて
短歌の上の句を作って俳句が出来たと思うのは、大きな間違いです。短歌は短歌という文芸、俳句は俳句という文芸です。大きな違いは、表現の中身です。極端に言えば、何を言いたいのか、その核心だけを詠むのが俳句、と考えましょう。ならばこの句はどう詠めば良いでしょうか。力に焦点を当ててみましょう。
例)新緑や吸収したきその力
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