2020年7月5日日曜日

今日の二句  その51(報告①)

今日は、稲畑汀子先生のお宅で句会があり、26名の方が参加されました。汀子先生は先月下旬に左肩から背中にかけて帯状疱疹(ヘルペス)を発症され、東京でしばらく入院されました。現在は芦屋の自宅で療養をされていますが、時折、七転八倒するほどの痛みが走るとか。それでも毎週末に飛行機で東京へ行き、朝日俳壇の選をされています。今日の句会では、もう痛々しくて気の毒で。気力だけで頑張っておられるように思いました。一日も早いご快癒と平安な日々を、お祈りしたいと思います。

さて、今日からしばらく、報告の句について説明したいと思います。

宿浴衣派手目の柄をすすめらる

かつての九年母では、これでよい句だと評価されたでしょうが、私の目が黒い内は評価しません。何故なら、この句は、詩情を詠おうとするのではなく、事実の報告をしているだけだからです。曰く「宿浴衣を借りようとしたら、派手目の柄を勧められました」という報告です。それでどうしたのでしょう。そう勧められて、作者はどう思ったのか。それが分からなければ評価のしようが無いからです。楽しかったのか、嬉しかったのか、悲しかったのか、淋しかったのか。俳句は自分の想いを詠むものだからです。

     例)すすめらる派手目の柄や宿浴衣

こふのとり青田に降りて絵となりぬ

この句も「こふのとりが青田に降りて絵となりました」という報告です。豊岡のコウノトリの里公園でコウノトリを見た報告かも知れません。報告としては要領を得たもので、思わず「はい分かりました」と答えそうです。しかし俳句は詩です。報告は詩では有りません。詩の形にしてみると、

  絵になった
     (何が?) 青田に降りたコウノトリが    
                       (これを五・七・五に纏めると)

     例)絵となりぬ青田に降りしこふのとり

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